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変容2

今、帰って来た。案の定、新宿で飲んだわけだが、ちゃんと電車で帰ってきたのだから上等だ。西口でまたいい店を見つけたんだよね。基本おでん屋。定番の燗酒は「仁王」だって。どこの酒か聞いたら長野。知らなかった。というか、知らない酒ってめちゃくちゃ多いね。私は菊正があればおんの字だが、なかなかにそれぞれ店に一家言あったりする。

韓国イベント、やっぱ行ってよかった。まあ、いろいろ語りたいがまた今度。さっきの続きを書こう。たって、書籍の抜粋だが。微妙に酔っぱらってる。前に、酒を飲んでは記事を書かないとほざいてたのにこの始末。ぎゃっと叫びたい気もするが、まあ前に進もう。前なのか?

弟子 「界面領域(インターフェイス・ゾーン)」とは何のことでしょうか?

老師 インターフェイス・ゾーンとは、自分が共有している生態系としての種と相互作用しているお前の意識の局面のことだ。それは物理的にはDNAの中に含まれているものであり、究極的にはファーストソースと繋がっている広大なネットワークの中で接点(ノード)としての役割を果たすものだ。

弟子 その広大なネットワークとはどんなものですか?

老師 DNAとは、個の肉体の中のネットワークだけではなく、種の集合的な「肉体」、つまり、ジェネティック・マインドの中のノードだ。人類種は、このネットワークを通じて接続され、それはDNAを通じて可能となる。

(注:ジェネティック・マインドとは、遺伝子のネットワークを通じて、概念や元型的イメージ、信念体型を形成する種族の精神的・心理的構造のテンプレート。時空を超えた知識のデータベース。無意識を支配する「遺伝子の記憶」。ソースからの分離を経験するためのバッファー(一時的なメモリー)の機能を果たす。「知識の貯蔵庫」と「通信ネットワーク」という2つの側面から、インターネット(ウェブ)をジェネティック・マインドの類似物としてイメージすることができる。ジェネティック・マインドへのアクセスによって超感覚コミュニケーションへの扉が開かれる)

弟子 では、私の中で起こったことが、すべての他の人間に送信されると先生は言っているのでしょうか?

老師 インターフェイス・ゾーンはネットワーク上のコンピュータのようなものだ。お前はコンピュータを接続させない限り、ネットワークの存在に気付けない。ネットワークにアクセスし、情報を検索し、共有するためには、お前は自分のコンピュータを接続させなくてはならない。同じように、インターフェイス・ゾーンは、種族全体に及ぶこのネットワークにアクセスさせるためにお前の注意をそのネットワークに向けることを要求する。

弟子 人間の誰とでも、私はコミュニケートできるということを先生は言っているのでしょうか?

老師 インターフェイス・ゾーンはすべての言語の創造者だ。言語はDNAのインターフェイス・ゾーンにコード化され、そしてそれが人間の表現の表面に浮かび上がる。これは人間のDNAが種族に言語をもたらし、種族から言語をDNAが受け取るということを意味する。DNAは両方の扉から開く扉なのだ。

弟子 言語を通して、DNAのレベルで私は仲間の種族とコミュニケートできると先生は言っているのでしょうか?

老師 その通りだ。

弟子 それはちょっと信じられません。

老師 それはマントラと宣言がお前の肉体の中で行うことではないだろうか? それらの言葉や周波数は、物理的にさえ、お前を変化させないだろうか?

弟子 そうですね、経験上そう思いますが、先生はその同じ言葉が私の肉体を超えて種族全体に伝達されるといっているわけですよね。それは信じることはおろか、理解するのさえ困難な概念です。

老師 お前の思考が自動的にコンピュータ・ネットワークに伝達されないように、それは自動的にDNAネットワークに伝達されるわけではない。コンピュータ・ネットワークでは、お前は自分の思考を言葉に変換し、コンピュータのキーボードを使ってそれを入力し、そして、ネットワークにお前の思考を送る経路を選択しなくてはならない。

弟子 それがコンピュータ・ネットワークにどのように当てはまるか理解できますが、それがDNAネットワークにどのように作用するのでしょうか?

老師 インターフェイス・ゾーンはコンピュータ・ノードに相当し、ネットワークにアクセスするためにはソフトウェアとその起動が必要とされる。

弟子 では、何がソフトウェアで、それをどのようにしたら起動できるのでしょうか? 

老師 DNAネットワークにアクセスしたいという理由を理解したいと思う前に、それを知りたいのか?

弟子 好奇心がロジックを凌駕したのです。私がなぜ、インターフェイス・ゾーンを確立したいのかと願う理由を教えていただけないでしょうか?

老師 インンターフェイス・ゾーンは、物理レベル及びエネルギー・レベルの合流点だ。それは個人から種族へのゲートウェイなのだ。これは多くの生物では極めて当たり前のことなのだが、人類は個性の表現と、エゴの追求を通じてそのゲートウェイを封印してしまったのだ。

弟子 先生は、アリやハチのような集団意識のことを話されているのでしょうか?

老師 ああ。しかし、その能力を持ち、それを行っている数え切れない種が存在している。

弟子 もし、人類がそのゲートウェイを封印してしまったとすれば、理由があるはずです。

老師 そのゲートウェイを封印し続けているのは、ジェネティック・マインドの汚染行為だ。

弟子 ジェネティック・マインドの汚染?

老師 思考が、人類種の汚染の唯一本当の形態なのだよ。純粋な本能の表現を超え、思考が言語を組み立て、言語が行動を組み立てる。この行動は、種族のジェネティック・マインドにとって破壊的なものになりえ、ソウル・キャリアーの魂を識別する能力に深刻な限界を定めてしまうことがあるのだ。

弟子 では、人間は魂とではなく、ソウル・キャリアーと一体になることを覚えてしまったのですね?

老師 そうだ。

弟子 では、誰がそのゲートウェイを封印したのですか?

老師 人類自身が・・・ジェネティック・マインドに不可逆性のダメージを防ぐためにそのドアを閉じるのが最良の策であると人類は無意識に知っていたのだ。しかし、もう一度、人類にインターフェイス・ゾーンが開かれ、アクセス可能となる時がくることを人類は本能的に知っている。


以上、『ウィングメーカー』(リリカス対話篇)からの抜粋だが、本来、一連の流れとして一冊読まないと訳がわからないかもしれない。何が言いたかったかというと、言葉とDNAと現実創造なのです。七沢賢治氏の言霊理論からバカボン山田さんのフトマニまで引きつけて進みたかったのだが、大酔っぱらいでもはや限界だ。イオン・アルゲインさんも言ってるが、取り沙汰されてるアセンションの意味というかある種想定される人間の状態、「日月神示」の半霊半物質の意味するもの、そのへんも仮説ではありながら触れたかったのだが、これらはまた書きます。

少なくとも今後、リモートビューイングやテレパシーのようなものは当たり前になるというか、より明確になる。明確になるという意味は、だってもうすでに人間はそういうことを普段している。とくに日本人は。日本人はわりと相手の気持ちを読める。わかっている。落語でもあるでしょ? 何だっけ? 半七お花の話にも出てくる霊岸島のおじさんってヤツ。皆まで言うな、飲み込んだ、飲み込んだってひとりでわかった気になって物事をすすめるパターン(落語を知らない人にはすみません。このことを書くとまたそれだけで長くなる)。もちろんその飲み込み方がズレててお笑いになるわけだが、日本には前提としてだいたい相手の思ってることがわかるということがあって、そこからギャグも生まれるし、そもそも誰もがその場でわかってることをあえてあえて口に出すことはヤボだという文化だ。

ひところクローズアップされた「空気を読む」ってヤツも日本人独特のものだろうが、どちらかと言えばネガティブに扱われた概念だ。気が利かないヤツは、「空気を読めよ!」と紋切り型に非難され、KYと呼ばれた。逆に日本人は空気を読みすぎて自己主張に弱く、出る杭は打たれる系の社会だとかエラソーにも言われる。まあ、そういうこともあるだろうが、その前に空気を読むだとか、相手の気持ちがわかるってのはわりとすごいことだと思うわけだ。

ううー、酔っぱらってる。こりゃまとまらんぞ。だいたい七沢氏とイオン氏の書籍の引用を果たさないともともとが進まない話だったのを知ってるクセに、引用するのが面倒くさいから引用なしでなんとかしようとしているところにムリがある。

何が言いたいかと言うと、一部の人たちはテレパシー的なもので会話することが当たり前になるし、人はウソをつけなくなる。というか、ウソをついてもすぐわかるので意味がない。でも、そうしたことがわからない人は相変わらずウソをつくだろうしバレないだろうと思っている。

ってこれは結論じゃない。結論は言葉が現実を創造しているってことなのだが、なんの説得力もない、というよりその結論にたどりつかない。やはりいくら間が空いたからとはいえ、あせって記事を書き、しかも途中抜けて酒飲んで帰ってきて文章書いてればこうなるわな。もちろん私に限っての話だが。

未練たらたらだが、これ以上恥晒さらすのはやめよう。明日というか、寝て起きて自分の書いた記事見て愕然としようじゃないか。まだ文字で書いてるだけマシに聞こえるが、今私に会ったら、ヘベレケのロレツが回らないクダ巻きオダあげのただの酔っぱらいだ。

こんなん、確実に読者に見放されるな。
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変容

また1ヶ月近く空いた。
絶対速いって。時間経つのが。ラットイヤーどころかビーイヤー。犬の時間感覚は速いらしいが、それが世の中いまやネズミレベルのラットイヤー。でももはやさらにその先、ビーイヤー、蜂の時間だ。とかなんとか毎度言い訳してもただの筆無精。時間は幻想だなどと普段うそぶいていても、ときどきこうして時間に追われる。追われるというか、気づかされるわけで。

あっという間に今日になったのは本当だ。いや、前回記事を書いてからのことね。その間仕事したり韓国行ったり酒飲んだりしていたわけだが、これは誰でも似たりよったりだろう。みんな速く感じてるのかなあ、時間を。去年の今ごろのことを思い出してみても、ええっもう1年かよといった感じだが、反面ついこの間のようにも感じる。特にもっと昔、結婚したてで子どもがまだ可愛いらしいころのこととか、もっと前の、自分が小学生のころのこととかは、その場面場面がついこの間、というよりすぐ隣にある感じがする。もっと言えばそれぞれのそのときの時間というか場面が今同時にある感じ。これはとうとう今朝食った朝メシも忘れてまた飯は?と聞くボケ老人の域に入ったということだろうか。

だから前回の記事からだいぶ経って、時間が速い速いとほざいてるのはちょっと不正確で、ついさっき書いたばかりなはずなのにふと気がつくと前回の記事から「今」の間にいつの間にか大量の時間が挟まっていて、おろ?と驚いてるってのが正確かもしれない。それが時間が速いってことだろと突っ込まれそうな気もするが、私としてはちょっと違うと言うしかない。

実はこれからまた韓国の音楽イベントがお台場であってそれに顔を出すのだが、これがメタル系なのだ。あまりというかかなり気が進まない。メタルってのはねえ。それでもいきがかり上、義理もあるし、まったく興味がないわけでもないので行くことにしてる。ちなみに私はアジアは仲よくしたほうがいいとそれなりにマジに考えていて、自分の仕事上はもちろん、かかわれることはできるだけかかわっていこうと思っている。流れとして今は韓国とのかかわりが濃い。どういうわけか韓国に行こうと思い立ち、ツテを頼りに当てずっぽうに人と会ってるうちにある人と初対面から意気投合し今じゃ酒飲んで歌っての仲だが、アジアの交流というよりたんに飲み友だちを増やしているだけという意見もある。まあ言わせとけばいい。

しかし露骨だねえ、オザワ潰しも。ってちょっと古いネタか。政治のことはあまりのバカバカしさにいっさい関心がないが、というか日本人なので日本の行く末には絶大な関心があるが、マスコミの政治に関する発信に興味がなかったわけだ。でもあまりにも露骨すぎる。今回も。オザワの新党発表の日に石原は都知事をやめる会見をするし、オザワ無罪決定のタイミングに野田は解散を決めるし。こりゃ、アメリカは、というかアメリカを牛耳る連中は相当オザワがコワイというかジャマなのだろうな。オザワというより、オザワから火がつくかもしれない「コト」に対して。これはある程度12月の選挙で答えが出るだろう。マスコミは維新だ太陽だみんなだ民自公だとばかり言い、国民の生活云々はヘとも出ないが、果たして中間層はどう出るか。この政局をどう見てるか。個人的にはジャパンハンドラーズにひと泡吹かせたいけどね、たまには。

いかん、話がつまらない。

ある老師と弟子の会話

老師 繰り返すが、お前のマインドに影響を与えるものは、外的なヴァイブレーションではなく、それに対するお前の反応だ。

弟子 では、瞑想をもっと成功させるために、どのように私の反応を変えれば宜しいのでしょうか?

老師 その問題は、瞑想にのみ関係することだろうか?

弟子 それを一番感じるのが、瞑想をしているときなのです。

老師 お前は外の世界がお前に恐れとストレスをもたらすと言っているのだな?

弟子 はい。

老師 その恐れは雑念と似たものではないだろうか?

弟子 おそらく。

老師 恐れがないとしても、お前は自己満足に陥りがちではないだろうか?

弟子 そうは思いません。

老師 恐れや、いわゆるネガティブなすべての感情は雑念と言えるが、同様に行動への触媒ではないだろうか?

弟子 要点は分かりました。しかし、その雑念と恐れが私をスピリチュアルな研究から遠ざけ、スピリチュアルな人物として整合性の取れない行動を私に引き起こします。

老師 では、スピリチュアルな人物とはどんな行動の仕方をするのだろうか?

弟子 泰然自若とし、慈悲深いです。雑念や恐れに直面しても落ち着き払っています。平和を発し、慈悲を体現します。すべてに対して、神聖な愛を表現します。

老師 お前は十分に神話的な聖人を描写したが、スピリチュアルな人物のことを描写してはいない。完全な闇の中でさえ、スピリチュアルな人物は光を発見することができる。彼らは真実の探求者であり、千の異なったパーソナリティという容貌を纏っている。彼らは真実を表現する者ではない。彼らは聖人ではない。彼らは真実の探求者たちだ。

弟子 私の定義はやや観念的でした。私はそれを認めます。しかし、なぜそれが恐れと雑念を議論する上で重要なのでしょうか?

老師 お前の懸念はスピリチュアルな人物の振る舞いを構成するものに対する視点と、そのイメージの中に欠点があることを認識することにあるのではないだろうか?

弟子 すべては、その基本的な誤解に起因すると先生は言っているのでしょうか?

老師 そうだ。これが恐れと雑念に対するお前の反応を生み出す重要な部分なのだよ。これが、外の世界に対するお前の反応を定義する自己判断の形態だ。お前は自分が信じるスピリチュアルな人物が定義するイメージと行動にしがみつくあまり、お前は自分の行いを比較をもって裁き、そしてお前は確実にそれに手が届かないだろう。

弟子 しかし、どのように行うべきかという理想のイメージの結果として私がフラストレーションを感じているのであれば、先生が言わんとすることころは、私はただ自分の期待を和らげるだけで、このフラストレーションが終わるということなのでしょうか?

老師 なぜ、お前のフラストレーションは終わるべきなのだ? 何の目的のために、お前は満足と不満の経験を選択するのだろうか? 心の平静や、王族のような安らぎの目的のためにお前はこの世界に転生したというのだろうか?

弟子 私はただ、何が平和で充足感であるのか、精神的な価値を実践したいと言っているだけです。

老師 精神的な価値とは、平和と充足感と同じくらい、混乱とストレスの中にも存在するものだ。精神的な価値とは、単純でも、生ぬるいものでもない。

弟子 しかし、先生の話し方ですと、精神的な価値とは、漠然としていて、何でも含まれるように思えます。

老師 この対話は、瞑想を妨げる外的な雑念によって、お前がフラストレーションを感じるという意見から始まった。問題は雑念やイライラにあるのではなく、どんな行為がスピリチュアルな行為で、何がそうではないのかに関するお前の狭い認識にあるのだということを私は指摘したいのだ。

弟子 それには同意しますが、それでもスピリチュアルな行動とは、怒りや憎悪や貪欲さではありません。この点ぐらいは先生は同意していただけないのでしょうか?

老師 仮に、どんな行為や行動がスピリチュアルな行いであるのか、余りにも狭く定義した場合、お前は自分だけではなく、すべての他人をも裁くようになるだろう。お前は無意識に「界面領域(インターフェイス・ゾーン)」を閉鎖してしまうことになるだろう。


うわぁ、時間がない。お台場に行ってくる。続きはまた帰ってきてから書こう。と思うが、飲んじゃうかなあ。

楽しい霊会話

特急あずさの車中で書いている(註:途中まで)。諏訪に行くのだ。BさんとCさんと高次元情報に関する大事な会合があるからだ。ちょっと大げさかな。でもネットがすぐ繋がらなくなる。山なんですね基本的に、まわりは。山梨、長野。南アルプスのつらなりが見事だ。白くゴツく、白龍の背中のよう。それにしても酒かっくらってる初老のおじさん連中がうるさい。いや、嫌じゃないんです。むしろ酒飲んで騒いでいるくらいがいいんで、私も仲間に入りたいくらいなんだが、もうひっきりなしに喋ってる。前に黒姫山に行った帰りの電車の中でも似たようなおばさん連中と遭遇したことがあるが(やはり酒飲んでた)、その喋ること喋ること。亭主のことから、娘のこと、微妙な下ネタでぎゃっと笑うみたいな。まったく同じなんだ、このおじさんたちも。何だか感動した。男は黙ってサッポロビール(これもわからないんだろうな、今の若者は)とか、男は余計なことは喋らないとか、沈黙は金なりとか、口はわざわいのもととか、女は無口な人がいい(これは八代亜紀の「舟唄」だ)とか、あまり喋らないほうがいい的な感じがなんとなく優勢を占めてる気がするが、まあそれは一種の教訓としてあるのでしょう。確かに余計なひと言が命取りってことはありそうだし、実際あるでしょう。私もある。あ、しまった言わなきゃよかったみたいなことから、本人のためと思い、あえて苦言を呈したはいいが猛反発をくらうとか、余計に落ち込ませてしまうとか、あろうことか結局私の自画自賛的なカタチになってしまうとか、そのつもりではなくても相手がそう思うのですね。

そういえば私は昔から誤解されやすいようである。高校のとき友人の家に遊びに行って、ドアを開けたら友人のお姉さんが出てきて、あ!あなたすごく誤解されそう!って叫ばれたくらいだ。初対面の人間にいきなり言う言葉じゃないようにも思うが、あとで友人に聞いたら、お姉さんはいわゆる霊感が強い人だった。それから、ああオレは誤解されやすいんだなと自覚して、普段から誤解されないように必要以上に説明くさく、しつこく、言い訳がましい物言いになってしまったわけだ。どうしてくれるのだ。

言葉に気をつけろ、とはよくいう。たしか映画『蘇る金狼』でも松田優作が風吹ジュンにそんなことを言うシーンがある。言葉・・・気をつけたほうがいいぞ、一度口から出た言葉は二度と取り消すことはできない、みたいなことだ。なぜか印象的だったんで覚えている。流れからいっても、なんだか唐突に感じたシーンだった。なんでこの場でそんなことを言うんだろう的な。そういえば前に紹介した数学者の岡潔博士に、何か数学的な証明を学生にとうとうと喋らせて、その学生の証明の正しさを検証するといったような話しがあった。しかも逆から証明させる。正しい証明だと、逆からでもスゥーっと流れるらしい。で、証明のどこかに学生の「我」というか姑息な思案がちょっとでも入っていると、その部分の流れがふっと途切れ、おかしくなる。違和感が出る。それで岡博士はオヤと思い、やり直しさせる。私にはよくわからないが、きっと数学も音楽みたいに天から降ってくるようなものなのかもしれない。モーツァルトも音楽はすでに完成されたものとしてひらめくといっている。あとは頭にあるその曲を順番に楽譜化していけばいいだけだ。先の松田優作のセリフはなんだったのか、本人のアドリブか、監督の思惑か、いずれにしろ何か違和感があった。

自然というか人智を超えたところから降りてくるものはきっと完璧なものだろうから、人間が都合よく付け足したり引いたりできるものではないだろう。できたとしたら、すなわちそれは本物ではないのだ。これは何にでもいえることだ。雑誌の表紙にしてもデザインにしても、最初に見たときの直観や印象が大事で、たいがい最初にいいと思ったものがいいに決まっている。細かいところを見出して、自分の浅はかな知識であーせいこーせいというヤツもいるが、そういうヤツの選んだものはたいがいツマラナイ。小さいというか、そいつの小さな器を満たすだけのクダラナイものが多い。人間の思考を超えたものと繋がっているという感じ、直観が一番大事で、それだけでいいくらいだ。そこまでいくのが大変なのだが、やっぱり経験を積むしかないのだろう。

あれ、なんの話だったか。沈黙だ。三島由紀夫も、沈黙は金とはいうが、沈黙は自分を不安にさせる、といった。おしゃべりだからね、三島は。色川武大(阿佐田哲也だ、といってもまた若者は知らないか)も、人間が2人以上いて黙っているのは陰険だ、といった。私自身決してお喋りではないし、どちらかというと無口なほうだと思っているが、カミさんにいわせるとフザケルナと。特に酔っぱらっているときは最悪で、際限なく喋りまくるらしい。だからカセットテープレコダーかなんかにカミさんの声で、ウンウンとか、へーそうなんだとか、いろいろ録音しておくからそれに向かって話してくんないかなあと真剣に言われたことがある。それはともかく、やはり人はできれば話したほうがいいと思うのだがどうだろう。ひと言も喋らないで、そばにいるだけで何もかもわかり合っているような、『東京物語』の笠智衆と東山千栄子のような姿もあるが、どうもなんだか寂しい気がする。悲劇的な感じがするのは私だけだろうか。

高次元?の情報によれば、次元上昇によっていわゆる肉体を持たない意識体になるとテレパシーで会話ができるらしい。相手が考えていることがわかる。霊格のようなものがオーラの色になって現れるという話もあり、誰にでもその人の魂の品格がわかってしまう。ヨコシマなことばかり考えてたりすれば、ああこの人は霊格が低い人だなとわかる。隠すことができない。だから低い霊格の自分をさらしているとおのずから謙虚になっていく。だって隠し立てできないから、いくら見栄はって自分をエラソーに見せようとしてもバレてるから、これほど恥ずかしいこともない。霊格の高い人は黙ってても皆に敬われる。今の世界はまだゴマカシがきく。小さいころガキ大将でまわりに恐がられてたようなヤツでも、社会で揉まれるてうるちにびっくりするくらいデキた人間になってることがある。逆にいじめられてる気弱なヤツだったのが、社会的地位を得て、びっくりするくらい低次元な人間になってることもある。その他、学歴や容姿、家の環境など、昔のいろいろな劣等感がその人の品性となって現れている場合がある。霊能者までいかなくても見る人が見ればその人の霊格というか品性は見透かされるものだ。少なくとも何を考えて、何がモチーフになって、その人がそういう行動をしているのかぐらいはわかってしまう。だから、ああそのまま行けばこうなってああなって、結局本人が望んでいるようなことにはならないのになあ、それどころか真逆の結果が出るのになあ、などとわかる。

何が言いたいのかというと、高次元というものがあり、やがてそういうところに行くのであれば、思うことが瞬時に現実化するという世界なので、たいしたことのない想念のままでそこにいけば、たいしたことがない現実しか創出できないのでつまらないだろうと。ましてや極悪非道の内面のままだとしたら極悪非道の世界で生きることになる。どうやら地球は三次元的な制約が課せられてる稀有な星らしいから、いろいろ不都合もあろうが、個人的なくだらない劣等感とか、恨みとか、ひがみとか、そういうことの一時の解消のためにエネルギーを使うのではなく、本来の自分が望んでいるものに早く気づいて、それを実現することだけにエネルギーを使うほうがいいのではないかということです。困難をともなうことかもしれないが(私自身はそうは思ってない、というか人はそれを困難ではなく喜びと感じることができると思っている)、本来の自分を実現、あるいは達成する過程において体験できることのほうがはるかに喜びが大きいと思うのだが。くだらない劣等感とか恨みとか、妬みとかそねみとかを実現することが私の本当の望みだ、という人が本当にいるだろうか?

まあ私自身そういった情報に関してはいまだ研究中というと大げさだが、保留にしてることが多々ある。それでも実体験としてまわりでいろいろなことが起きていることも確かだ。いずれブログで紹介したり、出版物として企画したいと思っている。というかその最中だ。

本来は地球や人類の平和、発展のために役に立つ技術が一部の思惑により封印されてきたことだけはほぼ間違いないようだ。それも必然性があったといってしまえばその通りだろうが(『日月神示』のいう、悪もお役ぞ、とか)、問題は、それで既得権益を得てきた者たちの変革に対する抵抗と、そういう者たちに対する社会的弱者たちの現実逃避的な感情による抵抗だ。それじゃ何も進まない。暴動や戦争が関の山だ。じゃあどうするか?

文化的なこと、芸術的なことしかないと思っています。なんだよ、○○的って!と責めないでください。きっと具体的にしますから。仲間たちと。

言葉

今は何事もなかったように普通に声を出して喋っているが、年末は風邪でほとんど声が出なかったのを思い出した。というか、そのことをブログに載せようとして途中まで書いたことを思い出したのだが。あのときは熱こそ出なかったものののどが痛く、2、3日声が出なかった。声が出ないということは意外とストレスになった。早く治んないかなあと思っていたのに、いざ治ってみると喜んだのは一瞬で、今じゃ声が出るのが当たり前になっている。インフルエンザが流行りそうだとかいうニュースを見て、そういえば風邪引いてたなあと思い出し、そういえばそれについてなんか書いたなあとさらに思い出して、こんなことを書いている。

当時は家でゲボゲボ咳してて顰蹙をかった。ジーサンといるみたいだとかいわれた。おまけに声がかすれて出ないから、キモいから喋るなともいわれた。新宿ゴールデン街では、その声のほうがセクシーでいいわよ、といわれてたのにだ。

声は、遺伝では一番似るということを聞いたことがある。そういわれてみると、子どものころ友だちの○○くんや○○ちゃんちに電話をかけて本人のつもりで話してると、実はお父さんだったりお母さんだったり弟だったりすることがよくあった。今でも自宅に電話してカミさんが出たのか娘が出たのかわからないときがある。一瞬ひるむのだが、カミさんのつもりで話していると、しばらく経って娘がケラケラ笑ったりする。逆の場合もある。DNA的になにか強力に根拠のあることなのかもしれない。まして電話だから相手の顔も見えないし、本人だと思い込んでいる場合はまず信じてしまうのではないか。振り込めサギがなくならないのもよくわかる気がする。電話じゃなくても、玄関越しとか、相手の姿が見えないときは声だけで判断するのは危険な場合もありそうだ。我が家でも「山」「川」くらいの合言葉は作っておこうか。

声ものどから発せられて空気を震わせて人の耳に届くのだから波動の一種だろう。同じ人の声でも、そのときの喜怒哀楽によって声の調子というか振動が微妙に変わるのか、あ、この人怒ってるなとか、喜んでるってことがわかったりするから不思議だ。いくら抑えても想いというのは声に出てしまうものなのだろうか。また、人それぞれ、声自体に好き嫌いがあるようだ。私もポール・マッカートニーよりはジョン・レノンの声のほうが好みだ。好みというとちょっと違うな、ジョンのほうがかっこいい声だと思う。女のボーカルでも、ユーミンも中島みゆきも曲は好きだし、彼女たちが歌ったほうが合うとも思うが、声はあまり好きではない。倍賞千恵子や中山千夏や若いころの森山良子のほうがそれこそ好みだ(古いなあどうも)。でも、この好みというのは本当に生理的なものだ。セクシャルなものかもしれない。惹かれるというか。でも、嫌いな声の異性とつき合えますか? ましてや結婚となれば基本的に一生一緒にいるわけで、相手の声は重要だと思う。あるいは、人は自分と相性のいい声の人を無意識に選んでるのかもしれない。それは波動が合うということにもつながる。だいたい嫌なヤツ系の声は感じが悪い場合が多い。大声で相手を威嚇したり押えつけたりすることに慣れてるヤツの声とか、普段から人を見下したり軽蔑したりしてる傲慢なヤツの声とか、初対面だとしてもなんとなくわかるものだ。

言霊(ことだま)とはよくいうが、その言葉自体の意味とか、言葉に籠められてる想いのようなものが、その言葉を発することによって一緒に出てくるということだろうか。以前も書いた江本勝氏は、水の結晶の実験で、まさに言葉の力を実証してみせた。水に、ありがとう、のような感謝の言葉をかけた場合と、バカヤロー!のような言葉をかけた場合とは結晶の形が違う。全然違う。江本氏の本には結晶の写真がたくさん載っている。琵琶湖の水の結晶、それも水の汚れを浄化する祈りを捧げる前と後の結晶の写真とか、大日如来だったかな、神様の名前や「666」のような数字を水に見せた?後の結晶とか、いろいろと興味深い写真がてんこ盛りだ。一番きれいな結晶は、やはり感謝系の言葉だった。人間の70%は水だ。骨を除けば90%が水だ。言葉が水にこのような影響を与えるのならば、当然人間の体にも影響があるはずだ。慇懃無礼という言葉があるように、もちろん言葉だけがていねいでもしょうがないのは言うまでもない。どんな言葉であれ、その言葉にどんな想いがのっているのか、人は無意識でも感知しているのだろう。人間に対してだけではなく、言葉とは、きっと思っている以上に今自分が置かれている状況(現実が継起していく起点)に影響力を持っているのかもしれない。言葉ひとつで現実が変わるかもしれないのだ。

言葉ではないが、私は舌打ちというのがどうも昔から好きじゃなかった。なんかイヤなんだよね。言葉に出して、チェッ、とかいうのはまあいい。女のコがいうとかわいいとすらいえる。でも、思わずというかはからずも出る舌打ちは、なんかイヤなものを見た気がする。だから女の好みでいえば、嫌いな女の筆頭は、舌打ちをする女、ということになる。ちなみに好きな女は、雪女です。雪女ほど美しい女はいないと思っている。色が白く、クールで、清潔だ。クールビューティの権化のような存在だ。だいたいブサイクな雪女なんて聞いたことがない。雪女は美人に決まっている。冷たいキスかなんかして、ヘタすりゃ死んじゃう。なんて命懸けの恋なのだろうか。エロスとタナトスは一緒だとバタイユもいっている。なに興奮してんだか、また話が飛びました。

ともかく言葉は大切だということです。初めに言葉ありき、と聖書にもある。言葉の意味とかコンテクスト以上に言葉自体に力があるという説もある。特に世界でも珍しいというか、どこだっけなあ、どこかの国と日本にしかない母音言語というもの、中でも日本語にはどうも秘密があるらしい。あまり突っこんだ話になると私の手には負えないが、日本語には発音や表記も含めて、まだ解き明かされていない秘密がありそうだ。しずかに注目されている『日月神示』でも、イロハ48文字を独特の並びで唱える。

ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ


空海が修めたという密教の秘教中の秘教「虚空蔵求聞持(ぐもんじ)法」にあるマントラもそうだ。「虚空蔵求聞持法」はマントラを100万回唱えるというもの。それで自分の能力を高める。一説によると、マントラというマントラの中でも最強だとか。唱えるだけで、マイナス思考がプラスになったり、自分にとって良い現実を引き寄せる力があるともいわれる。ちなみに「虚空蔵」とはアカシックレコードのことだ。そのマントラとは、

のうぼう あきゃしゃ ぎゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか

である。これは、四国でお遍路するときにも唱えるというから、そんなにマイナーなマントラでもないのだろう。言霊言語学は非常に難解な部分もあるので、興味のある方は独自に調べると面白いかもしれない。そういえば、あの出口王仁三郎も言霊のエキスパートだった。ある日、山道かなんかである人が大きな岩だか石をどかそうと奮闘しているとき、王仁三郎が通りかかって、それは「う」の言霊じゃなきゃ動かないよ、みたいなことをいって動かしちゃったという逸話がある。どうやったのかね? 古代遺跡には、それこそどうやって移動させたのかわからない巨石の話というのがたくさんある。一生懸命現代ふうに解釈して、いろんな専門家が、こうやったのだ、ああやったのだと説明はするが、意外と言霊の力だったりして。

そんな大げさなことでもなく、単に言葉の使い方、いい回しだけで気分というか状況が一変するようなこともある。前に、四谷荒木町のオツな小料理屋である先輩と待ち合わせをした。先に私が着いて、ちびちびやっていたのだが、約束の時間を過ぎてもなかなか現れない。お互い同業者だから、忙しいのはわかる。でもちょっとこれはないんじゃないかというくらい遅れてる。自分でもイライラしてくるのがわかる。そこに先輩から電話が入った。「ごめんごめん、ちょっと出がけに用が入っちゃって。今もう車に乗ってるから、ほどなく・・・」そういって先輩は電話を切った。それだけでスーッとなにかがヌケていくのがわかった。とたんに気分がよくなり、酒を追加したりした。ほどなく・・・なんていい言葉だろうと。これはわかりにくいかもしれないが、私にとってはなんというか、いい感じに響いたのだった。あまりのうれしさに、店の女将をつかまえて、とうとうと今の心境というかいきさつを語って聞かせた。女将は、ニコニコしながら、そうそう言葉なのよ、といったのだった。

腹の立つことの多い世の中だが、お互い言葉だけは気をつけたいものですね。なかなか簡単にはいきそうもないけど。
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プロフィール

∞酒林∞

Author:∞酒林∞
世の中の皆様こんにちは。
私はただの夢見る酔っぱらい。
夜な夜な昼間にそば屋うなぎ屋ラーメン屋、
飲んで歌って吠えてます。
いつまで続くか酔っぱらい。
帰ってくるのか酔っぱらい。

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