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薔薇の木に・・・

薔薇ノ木ニ薔薇ノ花サク。ナニゴトノ不思議ナケレド。

小学校の卒業文集に担任の女の先生が北原白秋の詩を載せて、この詩の意味がわかるようになったら訪ねてきてください、みたいなことを書いた。さっぱりわからなかった。しかも当時私は、ナニゴトノ不思議ナケレドを、何事も不思議だ、と解釈していた。不思議ナケレドを不思議ダケレドとなんとなく思っていたのだ。中学くらいだったかであれは、不思議はないけれど、だろうと思った。ということは、薔薇の木に薔薇の花が咲く、何も不思議ではないんだけど・・・といった意味になる。つまり、薔薇の木に薔薇の花が咲いている。何も不思議なことはなく当たり前のことなんだけど、やっぱりよく考えてみると薔薇の木に薔薇の花がちゃんと咲くのはなんとなく不思議なことだ、といった意味だろうと思う。すると、私の勘違いでは、薔薇の木に薔薇の花がちゃんと咲く、そういった世界のことごとくがどうにも不思議だ、といったふうに思っていたのだが、意味としては同じことになりはしないか。正確に同じではないにしても、たいして変わりない気がする。
もちろん私の国語能力に問題があったのは間違いないが。

こうした勘違いというか思い込みは私には昔から多々あって、古い話で、またとてつもなくくだらないので恐縮だが、アニメの『タイガーマスク』のオープニングの歌で歌詞に「ルール無用の悪党に・・・」という箇所があるのだが、私は「ルールぶようの悪党に」と思っていた。そう聞こえたのだ。友だちと大論争になった。「無用だ」「ぶようだ」と、小学校の休み時間に何人も巻き込んでの大討論になった。「無用」派にしてみれば、「ぶよう」じゃそもそも意味が通らんだろうというしごくまっとうな理屈だ。ひるがえって私を始めとする「ぶよう」派は、だってそう聞こえるからそうなんだ、というものだ。そしてなんと「ぶよう」派のほうが多かったのだ。
バカですねえ。「ぶよう」派にもう少し教養があれば、たしかに「ぶよう」と聞こえることは聞こえるが、意味からしてやはり「無用」だろうと考えただろう。

いや、なんでこんなくだらない話をするかというと、このクセがどうも娘にも遺伝してるのか、あきらかに娘の勘違いであることでも、娘は自分で納得しない限りガンとして譲らない傾向がある。とくに小学生のころに顕著だった。いくら説明して聞かせても聞かない。絶対違う!あるいは絶対そうだ!と言い張る。まるで自分の小さいころを見るようで恥ずかしかったのだが、私と違うところは、完膚なきというか、マトモであれば認めざるを得ない証拠を突きつけて説明すると、あっそうか、とこちらが拍子抜けするくらいにあっさりと認め、あとは何事もなったように次の話題に移る。私だったら平謝りに謝るか、とてつもない自己嫌悪に数日は陥入ること間違いない。女というものは・・・。

つまり、思い込みということについてです。あるいは固有の実体験とか。自分で確かに経験したこと、そう聞こえたとか、実際にこの目で見たとか、自分が感じたことだから間違いはないということ。私の経験からも、やはり自分で見聞きしたことは間違いないし、そう主張したい。でも先の例はたしかに超くだらない、レベル低くっ!って感じだけど、私が間違っていたことには変わりはない。いや、本当に「ぶよう」と聞こえたんだから、それは間違いないんだが、歌詞のコンテクストからいってもあれは「無用」が正解だ。いちいちそんな検証をする必要がないくらい当たり前のことなんだが、当時はマジで大論争になったのです。でも、白秋の詩の解釈のように、あきらかに私の読解力不足からくる勘違いなんだけど、結論としてはあまり大差がなかったという場合もある。大差がないどころか、その解釈の違いは決定的だという意見もあるだろうが、私としてはわりとOKなのです。だから何がいいたのかというと、自分で実体験したことでも、再検証してみる、あるいは他者の意見や体験も参照して客観視する、そしてその実体験を再構成し再解釈し直してみる、といったことが(とくに私の場合)必要だろうと。そこでなおかつ残る、あるいは新たに発見される解釈というか結論みたいなものを暫定的な事実として記録する、ってなんだか屁理屈っぽいイヤな話になってきたな。

ここ数年、のべつではないが、ヘンな、不思議な体験が増えたように思う。中学のころから、死んでいてもおかしくない場面で運よくまぬがれるということがいくつかある。それはケガ系のことで、でもこれは多かれ少なかれ現時点で中年以上の年齢の人であれば誰にでもあることだと思う。覚えているかどうかはともかく。そういったことではなく、あきらかにこれはヘンだぞと思ったこともいくつかある。

数年前に親父が死んだとき、親族だけの通夜で、葬儀場の和室でみんなで酒を飲んでいた。たいした話題もないところで、弟が気を利かしたのだろう、親父の生前のエピソードを披露し始めた。たあいのない話だったが、親父にしてみれば多少抵抗がある話だったかもしれない。弟が話し始めたとたん、和室の蛍光灯がバチバチッ!と鳴って点滅しだした。一同おおっ!となり、しばらく蛍光灯を無言で眺めていたが、おさまったので弟が続きを話しだすとまたバチバチッ。親父は向こうで棺に納まっている。私は、こりゃ親父が嫌がってるみたいだからやめとけよ、とおどけて弟にいった。それからしばらく過ごしたのだが、なんのはずみかまたその話になった。そして酔った弟が話しだそうとしたら、またバチバチッ!ときた。偶然ということはある。でもあの場の誰ひとりとしてあれが偶然だとは思わなかっただろう。たいした話じゃないが、私にとってはけっこう記憶に残る出来事だった。しかも葬式が終わった後、夜ベッドで寝ている私の脇に親父がきて握手を求めてきた。私は生前もそうしたように、うっとうしそうにハイハイと握手をした。暗かったので姿は見えなかったが、親父がニコニコ笑っているのがわかる。握手はそれこそはっきりとした感触がある。もちろん怖くなんかはない。

あとは幽体離脱だ。寝ていて金縛りになったなあと思うとフッと体?が抜けてあっちゃこっちゃ行く。幼いころに遊んだらしき公園とか、盛り場とか、知らない外国の屋敷だとか、宇宙とか・・・。楽しいのは空を飛んでるときで、ものすごく気持ちのいい風が顔に当たる。下は見たことがあるようなないような海湾で、夜なのか工場らしき明かりが見える。そのまま空を移動して、大木にぶつかりそうになるがぶつからないことは知っている。なんというか、地面に降りるときもそうだが、木や地面に降りようと思えば降りられるし、そのまま通り抜けることもできる、地面すれすれでまた舞い上がろうとすればそれもできる、自由自在だ。一時は楽しみにしていたこともあるが、最近はないなあ。もちろん一種の夢のようなものだと思うが、どうにもリアルだ。夢にしたって夢を見てる間はそれなりにリアルなものだが、そういった感じとはまた違うのだ。

先の話ではないが、なにがしかの検証が必要になってくれば、またなにかわかるかもしれない。

その他、シンクロニシティ、直観、予感などにまつわることなどいろいろあるのだが、たいくつな話になりそうだからやめる。もちろん勘違いもたくさんあるだろう。でも、私だけではなく、きっと多くの人がこうしたことをここ最近で体験する機会が増えているんじゃないかと推察するのだが、どうだろう。さらに今後は、これまでただのオカルト話として脇に追いやられていたことがどんどん表出してくるような気もする。いや、オカルトやスピリチュアル系の盛り上がりを期待してるんじゃなくて、今まで非常識とされてきたものが実はとても役に立つことがわかった的なことを期待している。理屈はどうあれ、楽しく、平和であることになじむ新(再?)発見は大歓迎だわね。

テレポーテーションできる焼酎とか発明されないかしら。
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