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後日談

いやあ、いい歳こいて、またやったしまった。
前回のブログを書いて、そのまま飲み会に行き、飲んだくれて、2軒目でスナックで歌ったりしてそれなりに楽しかったわけだが、その後がいけない。
結果から言うと、私はその日、朝まで警察の取調室で過ごしました。明け方にパトカーで駅まで送られて、また居酒屋でひとりで飲んで始発で帰って、あっちゃこっちゃ乗り過ごして、無事打ち合わせをすませたのだが、ったくってヤツですね。

いや、あれですよ、同級生のひとりがまたやらかして、スナックを出たところ、店の前で若者とはじまったわけですな。あれは何だ? 暴走族ではなさそうだったが、バイクに乗ってたむろしてた。14~5人くらいいたな。こっちはオヤジ5人とそのカミさんひとり。問題の友人は、いいから頭出せ!とか凄んでるし、ったくもう高校生じゃないんだから。

いろいろ面白い発見もあったから詳細を書きたいのだが、友人の中にはそれなりの肩書と職業についているヤツもいるので、私のブログで面倒くさいことになってもいけないからやめときます。でも、今の取調室って禁煙なんだね。明け方パトカーで送ってくれたのは楽だったが、自宅の杉並まで送ってくれと言ったらさすがにダメらしい。始発はまだないし、しょうがないからまた飲んだわけだ。で、ふと、そういえば昔もあいつと同じ警察署で取り調べられたなあと思ったら無性に笑えてきた。オーストラリアから帰国してきたヤツは、俺も行こうかと言ってたが、さすがに可哀相なんでお前は帰れとひそかに帰したけど、考えてみたら、昔のときもそいつはうまく逃げて、私と今回のヤツだけが警察に捕まったのだった。なんの繰り返しだこれはと思ったら、さらに笑えた。気持ち悪かったのか、隣のカウンターで飲んでたこれまた若い連中も何気に席を立って帰っていったな。

まあ、オヤジは小料理屋でひっそりと飲んでるほうがよさそうだ。

ともかく、前回の『パピヨン』のことだ。続きを書くって言ったし。と言ってもたいしたことではない。要するに、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンは絶海の孤島に幽閉されるわけだが、ホフマンは菜園を作ったりしてそれなりにそこでの生活を楽しんでるふうなわけだ。マックイーンはいまだにしょうこりもなくその島からの脱出を考えている。ホフマンも一応その気はあるようなそぶりを見せているのだが、どうやらその島でそのまま一生を終えるつもりのようだ。で、前に書いたように、マックイーンは波の法則を発見し、何回目かの波に乗れば、うまく島から脱出できると踏む。喜び勇んでホフマンにそれを告げ、一緒に出ようと誘い、ホフマンも一緒に行くことを約束するが、実際はとどまる。出発の日、自分はとどまることをなかなか言い出せないホフマンに、お前の気持ちはわかってるから的な感じで別れのあいさつをし、マックイーンは海に飛び込むわけだ。かなりのジジイなのに。

一般的には、どこまでも自由を求める男の話って感じなのだろうし、実際その通りなのだが、私は中学生のときに、もうちょっと違う感じで、なぜか微妙にある種の恐さを覚えた。自由を求めて命がけで海に飛び込むマックイーンも島からは出られないがそれなりに豊かでほのぼのとした余生を送れそうな島にとどまるホフマンも、どちらも誰からも責められることのない立場にあるのは当たり前だ。して、どちらが幸せだとかなんてのもわからない。本人がしたいようにしてるだけなのだから、どちらも満足なのだろう。しかし、両者はまったく違うと思ったわけだ。うまく言えないが、決定的に違うと。何が違うかはいまだにうまく言えないのだから、私も中学生から少しも進歩していない。でも、違う。と思う。

でもこれは、勇気があるとかないとかではないとも思う。勇気があるっちゃ、どちらも勇気はあるのだ。とも言える。50過ぎた私が今言えるのは、自分でもあまりに単純でバカバカしいくらい拍子抜けなのだが、要するに、好みの問題だということだ。どっちがいい?って言われて、なんかこっちのほうが好き、ってヤツだ。自分だったらどうする?ってのも意味のない質問だ。何にしても普段から自分の好みがあって、いざ選択するときにどういう行動を起こすかはそのときになってみないとわからないということがどれだけあるか、ということを何回も経験してきてるから、そうした質問は意味がないことがよくわかる。私の場合だけに限らないと思うのだが、どうだろう。私は、いまだに自分で自分の行動が読めないことが多々ある。いまだにだ。こうしてブログ記事を書いていて、このあとまた巣鴨で打ち合わせがあるのだが、まあ打ち合わせはすると思うが(アポも入れてるし)、それでも本音を言えば、本当に打ち合わせに行くかどうかわからない。いきなり面倒くさくなって酒を飲むかもしれない。

しかしこんなことを言えば、誰からも相手にされなくなるだろうな。だって信用できないもんね。自分で言っててそう思うわ。でも、さすがに50年生きてきてるから、こんな自分でも自分の好みはなんとなくわかってきた。で、だいたいその好みに添って生きてきたようだし、これからもそうだろう。だから私の場合、自分の好みのままに生きていくのが、一番人にも誠実に接していく方法のような気もしてるわけだ。違うかなあ。実はあんまり自信はないのだ。

まあ、先の『パピヨン』という映画も中学生のときに新宿で見たそれっきりだから、内容やラストも自分の記憶と印象しかないから、実際は違う部分がありそうだ。でも、今自分の記憶の印象ではその通りなので、私にとってはそういう映画だ。そういえばその『パピヨン』も、おととい飲んだ同級生のひとりと行ったのだった。ってのも笑える。

例によってまた何が言いたいのかわからなくなってきたが、人の生き方には極端に言って2種類しかないようだってことだ。浜田省吾の歌じゃないが、生きていく方法は100通りもあるかもしれないが、生き方は2通りしかない。

あとさっき気がついたが、トリスを飲んで天国へ行こう!みたいなコピーがあったと前回ほざいたが、あれは、ハワイに行こう!だったね、確か。面目ありません。酒飲みしっかくだなどうも。やっぱり推敲は大事なんだね。でも、推敲は仕事だけでいいや。

台風が来るらしいが、被害を最小にするように東に逸れるように祈ってる集団がある。現在。突然、なんの話だって感じだが、たしかにそうだ。

とっちらかってきたぞ。カップ麺でも食って、打ち合わせに行きますわ。取りあえず。
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中今

久しぶりだわな、こんなに早く間をおかず記事を書くのは。昨夜はいつもどおり仕事関係の人と焼き鳥屋で飲みながら打ち合わせをしていたのだが、その人の携帯が鳴り、おおどうした?かなんか言いながら外へ出たかと思ったら血相を変えて席に戻ってきて、酒林さん!申し訳ないけど、これから至急代官山に行かなくてはならなくなった、と言う。何でも大事なインタビューの取材をメモ帳に書いてなくてすっかり忘れてたと。それは大変だ、すぐ行ってください、と言うと、その人は力強く頷き、『太陽にほえろ!』の挿入曲が鳴り出すんじゃないかって勢いで出て行った。

カウンターにひとり残された私は、その人が置いていったまだなみなみと入ったウーロンハイを見つめていた。細かい炭酸の泡がゆっくり立ちのぼっていく。私は生ビールのジョッキを空にしてからもう一杯頼み、タバコに火を点けた。それにしても、そんなに大事な仕事を忘れるような人じゃないんだがなあ。なんとなく気のりしなくて、珍しく、本当に珍しく地元に帰り、近所の居酒屋で梅干ハイを2杯しか飲まず、帰宅したのだ。

なんてことはない。翌朝は二日酔いじゃないから記事が書ける。これからはたいした二日酔いじゃなければ早朝に記事を書こう。誰も信用しないわな。

前に「予言」について書いてたときにも書こうかどうか迷っていたのだが、本日24日に地震が来るって啓示があった。「地球創生1000年プロジェクト」のこの啓示がそうで、実はそれとは別にまた24日は要注意って情報もあった。先の啓示のほうは、24日の午後3時過ぎ、直下型で震度6以上、場所は富士山近辺、愛知県近辺みたいな具体的なこと書いてある。もちろん啓示を受けた人々はそれを抑えるべく、というか被害が最小になるように、なんでもそのエネルギーを伊豆諸島のはずれのほうに移し、海底火山の噴火として新しい島の創出に転換するように祈っていたらしい。その場合は、本日ではなく、またちょっと先になるらしいが、そのへんのことはブログに詳しく書いてある。まあ、今後の何かしらの検証にひとつにはなるでしょう。

それに、最近、私としては何かひっ掛かるというか、気になることがちょこちょこあってあまり面白くない。例の大津のイジメもそうだ。あれは誰かも言ってたが、イジメではない。れっきとした犯罪の類だろう。琵琶湖で亡くなった男の子たちのこともそうだが、やたら琵琶湖近辺が不穏だ。アメリカの銃乱射も気になる。

ここに来て、さらに何かしらが加速し始めた気がする。悪いことばかりでもなく良いこともだ。自分のまわりでも、とりあえず善悪でいえば善の流れの事柄が加速しているように見える。なんだか、こんなブログでも、また一週間後などと悠長なことは言ってられないような感じがしてくるから不思議だ。これからもいろんな人が早い決断を迫られる場面に、否応なく、相当遭遇するハメになるんじゃないかしら。まあ、ここ数年そうなわけだが、とんでもなく早まり出したような。

議論すらしてる時間はないような・・・。みんな実はやりたいこととかやりたくないことは確実に知っている。やるしかないってのは昔から言われてるもうアカがついた言葉だが、文字通り、今や問答無用でそうなのかもしれないね。やるとしても今からしかない。過去を悔やんだり美しく思ったりするのも今だ。未来に不安や期待を抱くのも今だ。当たり前だが結局、今しかない。なら何かやるにしても今しかない。

なんだかこりゃカタイな。やっぱ今度から酒でも飲んで、あるいは二日酔いでもなんでも書いてみるか。

日月神示

結果、またもアルコール漬けの1週間だったわけだが、先週の月曜、のっけから雲行きが怪しかった。先輩と神保町の蕎麦屋で飲んで、そのまま近くの行きつけの小料理屋でオダ上げて、河岸替えようと久々に高円寺の(柳家)紫文さんの店に行ったら(三遊亭)兼好さんの会があったらしく貸し切り。ちょうどハネたところだったし、女将さんに誘われてそのまま入ってまた飲んだ。こっちはふたりとも大トラで、柳朝(もちろんセンの)が好きだ金馬(もちろん三代目の)が好きだと吠えてたら、紫文&兼好がノッてきた。何でも紫文さんは柳朝の親戚だとか。また兼好さんからも、柳朝を最後に見とったのは九蔵だというエピソードを。九蔵って三遊亭好楽ね、笑点の。先輩は気に食わない噺家に対しては二つ目とかヘタすりゃ前座名で呼ぶんだよ、これが。正蔵なんか一生こぶ平って呼ぶとか言ってるもんな。でも兼好さんは好楽さんの弟子でしょ? その師匠のことを兼好さんに面と向かって、あの九蔵が!、はないよなとさすがの私も酔った頭で思った。考えてみれば酒場でもめたときは必ず先輩がいる。まあそれはともかく、晩年の柳朝の面倒は弟子の正朝さんが見てたから、ホントかよ?という先輩の気持ちもわかるっちゃあわかるが。おふたりの師匠にはあいすみませんでした。またお店行きます。

ハナからこれじゃ先が思いやられると思ってたら、案の定の飲み会続き。引き寄せるのかね? なんかの法則で。さあ、気をとりなおしてブログを更新するゾと意気込んで臨んだ土曜日の夕方、数行前の、なんかの法則で、っていうところまで書いて、またのこのこ出かけたのが運のツキ。また飲んでしまった。気がついたらベッドにへばりついて別の世界へ。日曜が消えた。酒の悪いところは楽しすぎることだって昔、山口瞳が書いてたが、そもそもそのエッセイ集のタイトルは『酒呑みの自己弁護』ってんだから語るに落ちてるわな。酒はたしかに楽しいが、ゼランドによればそれはエネルギーの借金だし。「人はアルコールを飲むことで、エネルギーを借りる。アルコールによる陶酔は借金することであり、二日酔い症状は利子をつけて借金を返済することである。いつも返済するときのほうが多くなる」。ゼランドさん、あなたの言うことはいつも正しい。借金地獄に陥らないように気をつけます。

前回の記事のコメントさんから『日月神示』に関する質問もあったのでちょっと触れときます。

『日月神示』は知ってる人は知ってるように(当たり前だが)、昭和19年に千葉の天之日津久(あめのひつく)神社で岡本天明に降りた。岡本天明は出口王仁三郎の大本にいた人だ。そのへんの詳細は本でもネットでもいくらでもある。で、『日月神示』の神は艮の金神(うしとらのこんじん)=国常立大神(くにとこたちのおおかみ)といわれる。この神はどえらい神様で、太古にこの地球がまだ泥の海だったころ地上を修理固成(つくりかため)した最高神だった。でもちょっと厳格すぎたのか、ほかの悪神たちがのさばってくるとよってたかって世界の丑寅(東北)=日本に押し込められた。以来、丑寅の方角は鬼門とされる。ちなみに国常立大神の相方の神は豊雲野大神(とよくもぬのおおかみ)で、彼女?は坤(ひつじさる)の金神として未申(西南)の方角=裏鬼門に押し込められた。大本によれば日本は世界の雛型なので、日本で起きたことは世界で起きる。昨年の東北大震災は、いよいよ艮の金神様=国常立大神が動き出したと言わるのもゆえあってのことだ。

正神の国常立大神を日本に封じ込めた悪神たちは、世界を我善しの世にしてやりたい放題してきたが、とうとう日本にもやってきた。神示によれば、神の国・日本は悪神により5回の「天の岩戸閉め」が行なわれた。1回目はイザナギ・イザナミのとき、2回目は天照大神のとき、3回目はスサナルノオオカミのとき、4回目は神武天皇のとき、5回目は仏教(仏魔)渡来のとき。いい加減にしろ、このままじゃ日本は、いや世界は滅びるってんで、国常立大神が世の立て替え・立て直しをするというのが『日月神示』で言われてることだ。世界はこれまで6回滅亡の危機があったらしく、今度のはこれまでにない、根本からの大掃除、「世は七度の大変わり」というわけだ。

『日月神示』もいきなり降りたというより、江戸時代末期から『黒住(くろずみ)』『天理』『金光(こんこう)』『大本』と、どうも国常立大神と同じかもしくは近い神様の神示がすでに降りてきていた。でも、神示が降ろされた黒住宗忠や中山みきといった人たちが亡くなると、あとに残った者たちの方向性がおかしくなり、神示が滞る。大本にも降りたが、内部分裂し始めると、最終的に岡本天明に降りた。

でも、神示が降りはじめたのが、江戸末期から明治、日月神示も昭和19年。なんか明治維新や太平洋戦争の時期というのも感じるものがあるね。

『日月神示』のすごいところはいわゆる予言ではないということだ。予言は、「ヨハネの黙示録」にしろ「ノストラダムスの大予言」にしろ「ファティマの予言」、エドガー・ケイシーその他、近現代の予言者たちのものは、未来予想というか未来幻視、こういう場面を見た的なことが多い。でも『日月神示』は、自分(国常立大神)がこうするゾという宣言というか、実行者の弁であるというようなところがほかと違う。このままじゃ、大天変地異でも起こして、私が世界の立て替え・立て直しを実行しなくちゃいけないんだから、もうそこまで来ちゃってるんだから、ハヨ身魂(みたま)を掃除セイ!と。

ここなんです。

『日月神示』はいわゆる予言ではないのではないかということですね。たとえ予言めいてるとしても、決定したことではない、と。だって、国常立大神は、戦争も将棋くらいにできる、って言ってんだから。そして、

(略)この度の岩戸開きは人民使うて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用ぞ、いつでも神憑(か)かれるように、いつも神憑かっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組いよいよとなったぞ。(「雨の巻」第一帖三三五)

(略)人民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言(こと)分けて申しているのざぞ(略)(同第十六帖三五○)


といったように、国常立大神は、世の中をまた泥の海に戻してやり直すのは簡単だけれど、それじゃ人民がかわいそうなから、早く改心して自分たちで良い世の中にしてくれと。人間が自分で身魂を磨いて改心しなければ神もどうしようできない。憑かることができない。人間が身魂を磨いて、はじめて神と一緒に御用ができる。だから、早くしてくれと。もう待てないゾといったことなのではないか。本当に人間が必要ないなら、警告もなにもせずいきなり泥の海にしちゃうよ。それが本当に地球、宇宙のためになるなら。きっとそうではないから、まだ救い、希望があるから、要するにまだ捨てたもんじゃないから、くどいくらいに神示に降りてきてるのではないか。甘いかしら。

でも、こういうものは予言じゃないよね。なんと言えばいいか、親がかわいい子に説教してるような…。

誰にでも、いや生物に限らず、この世にあるものにはすべて神の一部が宿っている、というのは多くのスピリチュアリストが言うところだ。ゼランドも言ってる。世の中を変える、我善しの世界を変えるのは、自分の中にある神の一部を発動するしかない。それには身魂を磨くしかない。でも、もう世の中ここまでおかしくなっているから、時間がない。このままだと一部の人間を残して、あとは大掃除するしかないということなのだろう。だから、悲痛なまでに『日月神示』の神様は訴える(語弊があるかもしれないが)。

ということは、我々の日々の生活、生き方しだいでは天変地異は来なくてもすむ。戦争も将棋くらいですむ。少なくともその可能性はある。ということだ。じゃあ、具体的にどうすりゃいいんだ?って言われると、私なんぞにはわからないし、ただの酔っぱらいだから真っ先に掃除されそうだが、『日月神示』の中には多くの真実があるように思う。

ちなみに私は日本弥栄の会版の『完訳 日月神示』を読んでいる。ガイド本としては中矢伸一氏の『「魂の叡智」日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』がいいと思う。そうそう、私は、中矢伸一氏に会ってるんだよね。1980の終わりか1990年のはじめころ。ご本人はとっくに忘れてるだろうけど。そのときは『日月神示』の読み方もわからなかった。ニチゲツシンシって何だろうみたいな。

ところで、バカボン山田さんは今スゴイところに来てるみたいだ。ふぐり玉蔵さんの疎開村もそうだけど、これからはますます魂に則って生きてます的な人たちが増えそうだ。

言霊?に関連して、前々から気になってることがあって、ブログでも記事にするすると言っていまだ書いてないが、今度書いてみます。例の世界で鳴ってる大音響のことね。あと一部で話題になってる528Hzという周波数。私にはまだよくわからないが、よく検証しなくちゃならないみたいだ。

今週もまたヘヴィな一週間になりそうだなあ。

飲まなきゃいいじゃん! 

ハイその通りです。

帰って来たヨッパライ

なんてこった。前回の記事から3週間も経ってしまった。

これじゃ、誰も読んでくれないやね。自分でも何を書いたのか忘れたくらいだ。禁酒したってことでそのまんま。もう3週間経ったんだから話が古いというか、もっとも話なんていいもんじゃないが、後日談くらい書かないと人格を疑われる。

そう、前回はかかりつけの医者に行って、血液検査の結果を見て医者が烈火のごとく怒ってて、今すぐ入院しなけりゃいけないかもしれん、もしかしたら膵臓がやられてるかもしれないからそこを重点的に調べる! ということでその場でまた採血したのだった。ある数値がフタケタも違ってたのだ。ありゃ、とは思ったが、前日までヘヴィな飲み会が続いていたし、食い物によっては数値もいろいろ変わるだろうから、そんなたいしたことはないと素人判断したものの、一応ミソギの意味もあって(なんの? という疑問を持たれる御仁もいらっしゃるかもしれないが、私にはけっこうこういうことがときどきあるのです)、5月いっぱいは酒を抜こうと決意した。

のだが、後日その採血の結果を聞きに再度医者に行ったら、なぜかキゲンがいい。数値がいいんですヨと。なぬ? と見ると、数年前に1カ月ちょっと断酒したときに出た数値よりいいではないか。膵臓もたいしたことはない。その他、成人病に関わるもろもろの数値がここ数年で一番いい。医者は、前の日の状況はどんな感じだったんですかあ、と妙に穏やかな口調で問診する。だからさんざん言ったでしょ!…それまでヘヴィな打ち合わせが続いて、飲んでばかりいて、高カロリーでもないがそれでも普段よりはいろいろ食ってて…というようには言わず、物静かに同じことをていねいに答えた。医者は、ああそうですか、数値は前の日の食べ物やなんかでかなり上下しますから。まあこの調子で続けてくださいって、同じ調子で続けて本当にいいんでしょうか?

それでも一度男が決意したんだから断酒を続けていたが、ある日、天からの声に従ってまた飲んでしまったorz。

バカボン山田さんにも誓ったのに、なんたるちあ。そういえば、バカボンさんから言われたことが一番コタエた。簡単に言うと、もうすでに、これまでの近代医学の論理というか近代医学の中での整合性のようなものはあるタイプの人間には無効というか、あてはまらなくて、自分の直観?、心?、に基づいたほうがいい場合があると。バカボンさんの知り合いもある時期、確実にある内科的な病気の症状を現わしていたのだが、病院ではなんの異常も検知されなかった。それでも、その病気であることは明白だから、しかるべき処置を自分たちで施したら治った。だからこれからはひと口に病気と言っても、エネルギー体である人間のどの層に不具合があるのかといったことを見極めないと見誤る可能性がある。それが、肉体なのかアストラル体なのかエーテル体なのかといったことは私にはわからないが、どうもコトはそんな単純でもなさそうで、例えて言えば波動や周波数に関するような細かい階層があるようなのだ。でもこれは私の個人的な解釈だから違うかもしれないが、おおよそのことはそういうことだろうと思う。それでも、あまりマには受けないでね。あの方たちは特別だし、私は自己管理も他者管理もできないデキソコナイだから。

で、私がなんとはなしに5月は断酒しようと思ったのだから、たとえ検査の結果がよかろうとなんだろうと自分に従うほうがいいというありがたい助言をいただき、私も経験上その通りだと思ったのだが…。

結局はただの酔っぱらいだということでお許しください。もし、もしご心配いただいたという方があれば、その御仁には心から感謝したいと思います。そして、どうせまたこの先ロクでもないことにでもなればみっともなく晒しますので、何かのタシにしていただければ深甚であります。ハイ。

久しぶりなので書きたいことがいろいろあるのだが、自業自得の前フリが長くなり、さらにこれからまた面倒くさそうな長たらしい話にもなるので、とりあえず次にします。でも、何とか更新を早めます。

明日は金環日食だし、6月6日には金星の日面通過でしょ? どちらも天文学的、占星術的、ひょっとしたら日月神示的にもその意味は深そうだ。日月神示的には今年後半のニビルのほうかな? そんでもって、巨大地震、富士山の噴火も取りざたされてるし。次の更新が果たしてできるのかといった話にもなるが、大丈夫でしょう。そのへんのことをトランサーファーを気取る私としては書いてみたいと思う。

悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ立て替え、大峠が来るかと待つ心は、悪魔に使われているのざぞ。

神の一厘の仕組わかりたら、世界一列一平になるぞ。枡かけ引いて、世界の臣民人民、勇みに勇むぞ。勇むことこの方嬉しきぞ。富士はいつ爆発するのぞ、どこへ逃げたら助かるのぞという心我れ善しぞ。どこにいても救う者は救うと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。

(『完訳日月神示』第九巻キの巻第九帖二六六、第十巻水の巻第十一帖二八五より)

およびでない?

3月の終わりにまたひとつ歳をとってしまった。この季節は自分の誕生日もあるせいか1年では一番好きな季節だ。というようなことを言うと、即座にカミさんから私にとっては一番イヤな季節だと来る。花粉症のせいらしい。そんで早く5月にならないかなあなどとウソブく。ほんとにいちいち腹の立つ女だ。わかった、それじゃ俺が花粉症を治してやるとチョチョイとまじないをして、翌日、どうだ、治っただろ?と言えば、今年は花粉が少ないからだと言い張る。まったく。

仕事の打ち合わせで韓国に行った。編集局長との顔合わせがメインだったのに社長が出てきたので驚いた。今後のアジアマーケットについて大いに語り合ったあと飯を食おうってことになって、何でも韓国では恒例(らしい)の爆弾酒を立て続けに飲まされた。ビールのコップの中に小さなショットグラスを置いてその中に半分くらい焼酎を入れ、さらにショットグラスを重ねてサイダーを並々と入れ、最後にビールでコップを満たす。それでこぼさないように残さないように全部飲み干す。いくら飲んでもショットグラスにちょっと焼酎が残る。これは完全に飲み干さないと終了できない儀式のようで、一回始まったらちゃんとできるまで延々と続けなければならない。他の韓国のスタッフはちゃんとできるのに私はいくらやっても残ってしまい、頭に来てガンガン飲んでたら、しまいにはドリフの志村ケンみたいに口からダーッとこぼしてしまった。こりゃしくじったかなと思ったが、まあ打ち合わせは無事終了。その後カラオケもあるスナックみたいなところに行ったのは覚えているが、あとの記憶がない。気がついたら安ホテルのベッドでありえない格好で寝ていた。でも二日酔いはない。翌日も打ち合わせがあったので、昨日のスタッフに聞くと、あれから4軒行ったとか。なぬ!全然覚えてないぞ。冗談は顔だけにしてくれと言ったが、どうやら本当らしく、カラオケで何曲か歌いもしたと。キャロルを歌おうとしたが歌詞カードになかったので諦めたところまでははっきりと覚えているが、歌った記憶がない。何歌ってました?(ちょっと弱気になる)と聞くと、プレスリーと河島英五と何だかわからない曲だと。何だかわからない曲は何だったんだろうとすごく気になったが、怖いので聞かなかった。でも相手の社長も大酔っぱらいで何だかわからない曲を歌ってたというからまあいいか。

翌日のソウルは天気が良く、待ち合わせ場所である東大門文化公園のシティホールの前のベンチに座ってたら、みんなぽかぽかとした陽気の中を楽しそうに散歩している。恋人同士、子供連れの夫婦、土曜日だったので何かのイベント帰りの人たち。ベンチの周りにたむろして、タバコをぷかぷか吸っている。吸い終わるとそのへんに捨てていく。私は以前ブログにも書いたが最近タバコを吸うので、天気も気分もいいしタバコでも吹かしたいなあと思っていたところ、灰皿がないのでこりゃもちろん禁煙だろうと。でもふと見たら、周りでみんなぷかぷか(ここで西岡恭蔵を思い出してくれた人がいたら友だちになりたい。彼も死んじゃったなあ)。いや、マナー違反なことはわかってます。けど懐かしかったんだよね。日本でもひと昔(どころじゃないかもはや)前は同じ光景があちこちで繰り広げられていた。大人はタバコを吸うもんだった。で、誰も別段咎めない。もちろん嫌煙家はいたが。

そういえば死んだ親父が昔、新宿のホームでタバコを吸ってたら、そばにいたアメリカ人が露骨に顔の前で手を振っていたと。親父がタバコを突き立てて、これ?とゼスチャーするとうなずいてた、なんて話をおかしそうにしていたのを思い出す。私は子どもだったが、ああ、タバコを嫌がる人もいるんだなあと思った。昔は駅のホームはおろかバスや電車の中にも灰皿があった。たぶん吸わないほうがいいのだろうが、そんなに目くじらを立てなくてもという気もする。もっと体に悪いわけわからないものはいっぱいあるゾ。それでそれらは無規制だったりする。最近では秋なのにたき火や野焼きの匂いもしなくなった。消防法ですか? みんな規制されちゃったのかな。地方ではまだあるのかも。

とにかく、なんとなく懐かしくのんびりした気分になった。

どだい急な規制や禁止なんてものは、誰かの思惑が働いているに決まってる。利害関係が絡んでいる。バブルがはじけた日本だって、いきなりBIS規制とかってのが出てきて、銀行が潰れたり、資産を売却せざるをえなくなった。結局得をしたのは、優良企業や資産を安く買い叩いた外国資本だ。よくわからないが、BIS規制なんてものは従わなくちゃいけないものだったのでしょうか。国際決済銀行って何ですか? 勝手に国際ルールとか言われてもねえ。

結局お金ですね。儲かるからやる。お金のためならなりふり構わなくなってくる。どこの国だっけ? 日本のコシヒカリとかササニシキって銘柄ですら商標登録されてるんでしょ? i−PADだっけ、i−PHONEだっけ? アルファベットのiからzまでくっつけたものを全部商標登録しちゃった。それらを売るときはロイヤリティを支払わなければならない。他の国の人が創ったものなんですけど。もっと敬意とかないのかしら。やっぱりお金なのだ。

明日、世の中からいっせいにお金がなくなってもおそらく困らないんじゃないか。そりゃしばらく混乱はするだろうが、お金のやりとりがいっさいなくなっても生産活動さえあれば世の中回ると思うんだが。お金を右から左へ移してとかいった仕事はなくなるだろうが、生きていくのに必要なものや世の中の役に立ったり便利なもの、面白いものなんかはなくならないから、それを企画したり開発したりするアイデアには人が集まる。注目される。そしてさらにそれらに必要な材料とか資材を企画、開発、あるいはすでに持っている人が協力してくれる。食べ物だって料理屋だって、本当においしい店には人が寄ってもくるし、もっとおいしいものを創ってくれとなる。それに必要な大根やかぼちゃはあそこの農家で作ってますよとなって、どんどん情報が行き渡り、それなりの仕事が創出される。そこに生きがいを見出す人も出てくる。そういう類のアイデアがないとしても、力仕事は人の10倍できるとか、歌がうまいとか、ダンスがうまいとか、どんな人でもその人なりの個性がある。その人すら気づいていないオリジナリティが人を幸せにするかもしれない。

お金はいらないんじゃないか。

どうしてもお金というか消費活動や資本主義システムが好きな人は、バンカースや億万長者ゲームのちょっと本格版みたいな遊びを開発して今までどおりに楽しむ。バーチャルゲームのようなものとして。ダメかなあ。エラソーなこと言って誤解されると困るが、私自身かなり俗物だからお金による快感は十分知っている。ホテルの上層階に泊まるとか、高くてうまい料理屋に行くとか、高価な時計をしたりスーツを着て他人の前で優越感を得るとか、そういうことはよくわかるし今でも似たようなことをするときもある。でも同時に先のような意識を持った人たちが増えているのも確かだと思うのだ。今、そんな時代に移行してるとしか思えない。ドラスティックに移行する必要はないと個人的には思う。方法論の問題として、小泉や橋下のようにいきなりいろいろなものをぶっ潰すことはないと思う。それくらいの荒療治が必要で、創造にはまず破壊が必要なのだという立場は私はとらない。そういった二元論的な発想からはもうなにも新しいものは生まれないと思っている。

我々はもっと手放したほうがいいのでないか。自分たちの思惑とか望みとか理想とか、そんなものはたかが知れているよ。我々が思うこと以上の可能性を楽しみにするくらいでいいんじゃないか。だから私は、『日月神示』のいう大難が小難になるというほうに賭けました。賭けるなんていうと深刻めくというか背水の陣的に響くが、これは選択の問題です。そっちにノッたってくらいの感じ。

コケたら? ありゃって本当にずっこけて、また考えましょう。

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プロフィール

∞酒林∞

Author:∞酒林∞
世の中の皆様こんにちは。
私はただの夢見る酔っぱらい。
夜な夜な昼間にそば屋うなぎ屋ラーメン屋、
飲んで歌って吠えてます。
いつまで続くか酔っぱらい。
帰ってくるのか酔っぱらい。

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