スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カミはいない?

10月になった。
これじゃ放置ブログだな、ったく。
仕事が忙しくてさ、などと言ってみたいものだが、いや、仕事はしてますよ私だって。飲むのも、というか、仕事をするとモレなく酒も付いてきますってなことをこの30年やってきてるわけで、どうも今さら酒なしなんてって気もするが、どうやらコトはそう生易しいものでもないらしい、すでに。

すべからく好奇心を持ったことに関しては体験、実践すべしをモットーにしてきた身にとっては、シャレにならなくなってきたわけだ。わりと自分のしたいようにしてきた私は、勝手に第3段階に突入したと決めつけ、会社を辞め今にいたるのだが、思った通り、現実は自分で創造してることを確認してるわけだ。今現在。なぜか自分の人生には5段階あって、イノセントから始まってもろもろ体験する1段階、何となく方向性が決まっての2段階、本格的に絞り込む3段階、ちょっと点検する4段階、して最終段階。

人によってその時期や期間はまちまちだろうが、私は第3段階、自分の第4段階は短いだろうという気もしてるが、たぶん最終段階はすぐきて、あとは世のため人のため、ってのはちょっとウソ。であってほしい。

第2段階からのこれまでは、つまり30年間はずっと出版関係できたわけで、たずさわったジャンルでいえば純文学からエロまでなんでもござれ。芸能、音楽、スポーツに、政治、経済、社会学、料理に掃除に健康関係、まあ、たいがいの三流編集者がそうだと思うが、ありとあらゆるものを手掛けてきたわけだ。して後半は微妙に封印していたスピリチュアル関係に入るわけだが、封印というか、実は第1段階から通奏低音のように鳴り響いていることではあったのだが、ちょっとムカツいたことがあって離れていたのだなこれが。ムカツいたことは前にブログで書いたような気がするが、ともかく、2010年に飛行機から白い龍が泳いでるのを見たときからどうも妙なことになってきたわけだが、これも書いたと思う。

で、ゼランドだ、バートレットだ、ボーネルだの本で、おや?と思い、封印というか離れていたスピリチュアル関係の資料を引っ繰り返し始め、やっぱりそういうことなのかもしれないということに気がつき、いや絶対そうなのだろうということになり、じゃあ、やってみるしかないと会社も辞めた。したら、本当にそうだったって話だ。

何のことかわからんなこれじゃ。
だいたいが、第何段階とか、自分で言っててしゃらくさいと思うもんな。アホかと。でも、そうなんだからしかたがない。

つまりですね。カミはいないと。
いや、いるっちゃいる。創ればいる。誰が? 人間が。でも、少なくとも、人間が他の人間に依存するような形での神はいない。そりゃあ、神はエネルギーだからとか、人間の中に神はいるとか、そういったことでもなさそうだ。それでもいいが、どうやらそうした物語というか壮大な想念システムは書き換えられなくちゃならないようだ。てか、ヘタすりゃ強制的にそうなるしかないんじゃないか。って感じか。それでもいいんじゃんってのはある、確かに。私も、それも面白いかもしれないと思わないでもないが、やはりつまらない気がする。もっと面白くできると思うほうに行ったほうが面白いと思うわけだ。

でも、人を殺したほうが面白いってヤツがいたらどうすんだよと怒られるかもしれないが、もう我々は人を殺しすぎた。人どころか、ありとあらゆるものを破壊してきた。いいかげん飽きたんじゃないか。してそういったものの犠牲というかあとに今みんながいるわけで、といっても過去現在未来の時制の話は今はなしね、そしてまだまだ面白がれることはいくらでもありそうなわけで、そうしたことをクリエイトするだけの新技術、エネルギー分野だろうがハイテク分野だろうが思考能力だろうが、どんどん出てきてるし、あんま時間ないけどそっちをもっと出しちゃおうって話。

人を殺す、ってキツイ表現で申し訳ないが、あるいはいじめる、いじわるする、批判する、なんでもいいが、そういうことで癒される人がいるかもしれないことはわかる。そうしたネガティヴなこと、陰陽でいえば陰のことで癒されるということはあるらしい。陰は女性性、母親的なこと。それで癒されるってのはわかるが、それじゃ前に進めないというか、広がりが出ない。つまり飽きるし、面白くない。陰は大もとで、おそらく創造主、大神、根元のエネルギー、これもなんでもいいが、それはおそらく陰なのではないだろうか。陰から陽が生まれて展開する。古事記か日本書紀だかでも、イザナギイザナミが天御柱(だっけ?)で、右回りだか左回りだかで出逢って、女のほうから、あらステキ♡とか言ったら、それは間違いで、やり直す話があった。あれも、ホツマツタエ的には、陽が先じゃなきゃダメって話でしょ? やり直して、男のほうが先に、お!いい女!って言ったから世界ができたわけだ。

要するに陽が先なのだ。大もとが初めから陰なら当たり前だ。陽が動かなきゃ始まらないんじゃないか。ニワトリが先か卵が先かって話があるが、ニワトリが先に決まってる。男か女かって、女が先に決まってる。でもそのニワトリも女も、最初は性別を超えた存在だろうが、とにかく陰なる大もとから陽が働いて、ニワトリなる、あるいは女なるものが生まれ、でまた陽が働いてオスなり男ができる。って、実はこれは自信がない。

まあ、何が言いたいのかわからなくなったが、イザナミイザナギだって、あれ?もう一回ってことでやり直せたんだから、人間にもできます。

ひとりで鏡とつまらないあるいは怒った顔でずっとにらめっこしてても面白くないわけで、そのうち笑い出すか、踊り出したほうが、自分も楽しいに決まってる。人間は、全存在でもいいいが、やっぱり飲んで歌って踊るってのを基本にしたほうが一番楽しいというか平和だと思うんだがなあ。

カミがいたとしても、それを一番望んでるんじゃないかしら?

やっぱ飲むのかよ…ってことに落ち着きそうですが、うちのカミさんはおそらく望んでいない。
スポンサーサイト

現実か?

もう2月も17日か。立春を過ぎてさすがに「時間」も新サイクルというか、12月22日以降1月いっぱいくらいのぽわ~んとした時期を経てまた「時間」本来の仕事に戻りつつあるって感じだ。

「時間」といえばゲリー・ボーネルはいつも毛糸玉を持ち出す。我々は時間は過去から未来へと流れるリニアなものととらえるが、実際は1本の毛糸をくしゃくしゃに丸めた毛糸玉のようなもので、過去と未来は隣り合わせにあるし、糸と糸が重なってる部分にゲートウェイというかポータルがあって過去や未来にアクセスできるという。過去から未来へと順番があるかのように経験するのは、そのほうがこの3次元を体験しやすいと人類の大半が選択したからだが、それも今年から急速に変わっていくと思う。ってのは私の意見だが、これは私の個人的経験による。

のっけからカタいか。

ここ2日くらいものを食べすぎてちょっと頭がぼーっとしてるからキレがよくない(もともとか)。こういうことがときどきあるですよ。実は2、3年前から食生活が乱れているというか、ものをあまり食べなくなった。なんか食べたくない。というか、食べることを忘れるというか、気がつくと、ああ本来なら昼飯の時間だなとか、そういえば今日オレなんか食ったっけ?って感じで、ときどき生命の危機(大げさだが)を感じてあわてて食べたり、時間を空けずに2度飯を食べたり、全然腹が減ってないのに無理に食べたり、胃腸に負担をかけてる。しかも私の場合ほぼ毎日酒も飲むから、しかも夜だけとも限らないから、つまみとか食べてると、いわゆる飯を食べるリズムもタイミングも量もわからなくなってくる。まあ、それは今に始まったことではないが、とにかくものを食べるということになんというか執着がなくなったというか、重要度が下がったというか、どうでもよくなった。いや、ありますよ、どうしてもヤッコが食いたいとか、おでんで一杯やりたいとか、いっちょまえの欲望はあるのだが、なんか前とは違う。まあ、トシのせいだろうな。言いたかないけど。と言いつつ今もワインを飲んでるわけで。

つまらん話だな。なんかないか。あれだ、ロシアの隕石。あれはちょっとびっくりした。というのは、去年の笹子トンネルの天盤落下事故があったでしょ? あれから、天、つまり空から落ちる系の事故というか、現象が続くだろうというようなことを身内と話していて、だから飛行機とか隕石とか老朽化した橋やビルの崩落とか、そういったことに気をつけたほうがいいぞ的なことをほざいていた。というのはここ2、3年(またかよって感じだが)、相似象ということが気になっていて、フラクタルというのともちょっと違う。どちらかといえば出口王仁三郎の大本とかが言ってることに近い。つまり、ある事象が起きるとすると、そのパターンというか型体というか構造が波及する、連鎖するということがあって、とにかく似たような現象を遠からず現出せしめる力学というか法則があるように思うわけだ。これは、大本で言うところの雛型理論と同じだ。大本の場合、大本に起きた3度の弾圧が雛型となって日本が戦争に巻き込まれて行くことになり、ひいては日本に起きることは世界でも起きるというような相似象の話になるわけだが、そう大きな話ではなくても、例えば家で起きたちょっとしたトラブルと同じ構造のトラブルが職場で起きたり、あるいは飲み会で起きたりするようなことがここ数年、世の中で頻繁に起きているように感じていたわけだ。

とは言ってもいちいちチェックして生活しているわけではないからあれだが、ふと気づくというか観察するとかなりの現象が何かの相似象になっていて、ヘタすりゃ世界は無数の相似象の重なり合いとも言えそうだ。たぶんこうした考えは珍しくもなんともないだろうと想像できるし、当たり前だとも言われそうな気もするが、でもこれはけっこうデリケートな問題をはらんでる。と思う。だって、こういうことはその観察者の見方というか捉え方の深度でかなり微妙になるからだ。相似象であることを感じ取れる感性とかセンスって話になると、基準がないから、ただの考えすぎだとか、逆にわからないとお前は鈍いとかの話にもなりやすいし、最悪、世の中の現象をなんでもかんでも自分と関連づけてしまう関係妄想として精神病扱いにもされかねない。

また話がずれるな。いや、さきの相似象の話ですけどね、家庭で起きた事象の相似が外出先で散見されるといった話以上に、さらに実は、人の内面で起きている事象が相似象として現実化しているということのほうが重要なわけだ。これはこれまでも記事にしてきたゼランドなどの話と同じで今さら感があるが、何が言いたいのかというと、想念、思考が現実化するというのはもはや疑うべくもないのだが、実際に現実化させていくにあたって、現実化させる者の責任というのがかなり重要になってくると実感として思うわけだ。これはけっこう身の引き締まるようなことではないか。想念の現実化は、エゴから発せられる場合は現実化にはいたらないとか、現実化されたとしても、エゴなり邪悪な動機に基づいた現実化であれば、3次元的な因果応報に従って受けるものを受けとることになるとか、いろいろ各人による解釈なり解説があるが、共通して言われることは責任がともなうということだ。

(略)日々これを行なうことに努めれば、日常的な出来事の裏に隠された現実とその複雑さを垣間見るようになる。ものごとがあなたに対して起きることはなくなる。逆に、あなたが宇宙エネルギーの創造的な使い方について責任を取るようになるのだ。
『マトリックス・エナジェティクス2』リチャード・バートレット

老師:宇宙とお前自身が教師なのだよ。お前と宇宙は、直接経験を供給する経路なのだ。この経路は、動的かつ不動で、疲れを知らずに絶え間なく要求に応じている。(略)
弟子:つまり、先生は、私に宇宙のもっと積極的なパートナーになるように教えているのですね。
老師:お前が宇宙とパートナーであるという能力に責任と信頼を加えるのだ。(略)

『ウィングメーカー』リリカス対話篇

(略)古代、日常生活のさまざまな側面で助けてもらえる存在として人類が生み出した神々がいます。召喚できるなら、呪文で呼び出す存在であれ、エレメンタルと呼ばれる精霊たちであれ、宇宙存在であれ、あなたの指令を取り囲む時間の境界線を崩し、あなたにパワーを授けて現実化を促進するものであればなんでもかまいません。
 たとえ私たちが存在を「創作」しても集合的にその存在に帰依することで力を与えるなら、それは集合記憶の一つとなりそのものの生命を生きはじめるのです。この存在が集団によって形を与えられた(物質化された)場合、生まれた時点で付与された多面的な特質を示します。(略)
 非常に大切な点は、あなたはこれらの召喚されたすべての形体を保護する者だということです。そして集団としての物質化を行なった場合、あなた方の被創造物の行動に対してそれぞれが同等に責任をとらなくてはなりません。

『アトランティスの叡智』ゲリー・ボーネル

まだあるが、要するに想念を現実化するのはいいが、その現実に対しては責任がともなうよということだ。してさらに、その想念の現実化のメソッド、方法論は?となれば、これは誰もができることだし、だからこそ微妙に封印というか秘匿というか、要するに微妙に隠されてきたわけだし、とは言え、人類の所業を見るにこのままだとダメだこりゃ系かもしれんぞということで、犬が水気をはらうときのように地球がブルっと身ぶるいして、私のようなただの酔っぱらいや原発施設をふっとばさねばならないから、気の毒に思ったクニトコタチノミコトや銀河連邦の宇宙人がここにきて急速にメッセージを降ろしはじめたわけだろう。わかるやつだけでも身魂を磨いてくれよとか。光ってないと目印がなくてわからないよとか。どうやって身魂を磨いて光らせるのかってことは、それこそ何百冊も本が出てたりブログで紹介されたりしているし、どれが本物かなんてことは私にはわからないが、だいたいが本物はシンプルだ。仮に私がわかっていたとしても、♪わかっちゃいるけどやめられないアソレってタイプだからマジでダメだこりゃな酔っぱらいなわけだが、酔っぱらいはいいが、ワインでホントに酔っぱらってきてるわけで、あれも書こうこれも書こうと思っていたことがすっかり飛んでしまってる。

支離滅裂になる前に終わろう。

っても、最初の隕石の話も中途半端だし、ひどいねどうも。

まあ、とにかく意識的であるということだろう。前にも書いたが、夢の中でこれは夢だと目覚める明晰夢の要領だ。明晰夢は思念したことが即、現実化する。もちろん夢の中での話だが、目が覚めたら現実に戻ることがわかっている。これを現実でやるってことだが、はて・・・。

この今にあって、われらの任務はほかならぬ覚醒であり、われらはこの迷誤に対する争闘が育てあげたすべての力の相続者である。
『善悪の彼岸』ニーチェ

そして、神戸

また2週間経っちまったか・・・。

先週、野暮用で神戸行ってきました。尼崎じゃなくて三宮。初めての神戸だが大阪とはまた違ったノリなんだな。夕方早い時間から酒場求めて繁華な場所ほっつき歩いてたら、あったあったいい感じの店が。勇んで覗こうと店の戸口に手を掛けたら、瞬間、ゲゲゲの鬼太郎のように頭のてっぺんにアンテナが立ったね。オヨ?何だろう、と不思議に思ったらゲロ踏んでました。おおーっ!もうゲロかよ。早ぇだろ! 

三宮恐るべし。

しかし尼崎の殺人事件はどうなってんだまったく。前回の記事じゃないが、ほんとに『黒い家』だわ。鬼畜としか言いようがない。いったい何人殺してんだ? 津山の30人殺しじゃないんだから。でも津山事件はその背景というか心情というか、情動的なものとしてまだ理解の範疇にあるようにも思えるが、これは保険金殺人だろ。容疑者の段階であれこれ言うのは避けたいところだが・・・

連続殺人と言えば、昔、三島由紀夫と大江健三郎が対談してた。殺人を巡ってこいつら何を言ってんだ?とちょっと驚いたことがある。たしか大江がコリン・ウィルソンの『殺人百科』に言及したときだ、三島が間髪入れず「素晴らしい!」と絶賛した。『殺人百科』は切り裂きジャックなど欧米のいろいろな殺人鬼についてC.ウィルソンが研究した本だが、三島と大江が大いに盛り上がるのだ。大江は、なんとかという殺人鬼の、たしか死姦マニアだったと思うが、墓から死体を掘り出したはよかったがどうしていいかわからず泣き出してしまったというエピソードに触れて、感動したとかなんとかとにかく感激してみせる。すると三島も、ドイツの連続殺人鬼、あのデュッセルドルフのペーター・キュルテンが人を殺したあと悠々と街へ帰っていくのだが、その姿を夕日が赤々と照らしていたとかなんとかの表現で、「素晴らしい!」とかなんとかこれまた賞賛する。

さすがにノーベル賞作家クラスの感性は違うものだと妙に感心したことがある。もっとも当時は大江はド新人だし、三島がようやく候補を取り沙汰されてたくらいだったが。

ともかく、そのときの大江の言に、日本人はたいていひとりふたり殺したあたりで自己崩壊するが、外国人は徹底してるといったようなものもあった。大作家というのは殺人でもなんでもおのれの芸術的美的鑑賞の対象にすることができるのだなあと妙に感心した。イヤミではない。本当にそう思ったのだ。石原慎太郎にしたって、なんだっけ?『殺人教室』だったか、とにかく作品の中で登場人物を殺しまくってた。笑えるのは、あまり仲のよろしくない三島らしき人物まで「五島」とかの名前で登場させ、バーベルを上げたところをライフルで殺している。作家って人殺しが好きなのね。でもあの村上春樹は、初期のどこかの小説で、すぐれた小説とはセックス描写がないことと人が死なないことだみたいなことを書いていた。

とは言っても、古今東西、おそらくどこの国でも普遍的に人気のあるミステリー小説やドラマは例外なく殺人事件の物語だ。人の興味はつまるところ「死」しかないのかもしれない。他殺でも自殺でも事故でも、そこにいたるドラマツルギーが人を魅了してやまない。

そういえば、こないだ副島隆彦の『隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?』を面白く読んだが、副島氏の考えとして、人間は死んだらおしまいで無になるだけだ、とあってちょっと驚いた。ひょっとしたらそう思ってるだろうとは予想していたが本当にそうなんだって感じ。人は、死んだら終わり、と思うか、あるいは死後の世界というかいわゆる現世、三次元、なんでもいいが、この現実とは違った世界なり形態なりに移行すると信じてるかどうかで、生きる意味が変わってくると思っていた。私がね。だって、死んだらおしまいってのと、死んだあとは天国でも地獄でもいいが、とにかく終わりではなくまだ世界が続くってのではまるで違うだろ。生き方も違ってくるだろ。違わない? 

でも、先の副島氏の決然とした意見というか考えに触れてちょっと待てよと。死んだら死にきりでおしまいだとしたら(そういえば吉本隆明もこっち系だったような)、人によっては、だから後悔しないように好き勝手なことをしよう(犯罪も含めて)と思うだろうし、一度しかない人生なんだから人に迷惑をかけるのではなく、せめて人のためになるように正しく生きようと思うヤツもいるだろう。

要するに、死んだら死にきりでも、死後の世界があろうとも、結局は現実の世界をどう生きるかは人によって変わるだけで、どっちでもいいんじゃないかということになりはしないかとふと思ったわけだ。

でもこれはやはり狭い考え方だ。人間の生死を虹のスペクトルのように紫から赤までと決めつけたビジョンだ。当たり前だが、可視光線以外に紫外線もあれば赤外線もある。人によっては可視光線以外の光つまり電磁波を感じたり、見たりする能力がある。いまの科学で言えば、とりあえずこの世のものはすべてエネルギーなので、人の能力の開発しだいによっては生死の捉え方もこれからは変わる。そしてどうやらそういった開発方法や開発方法に関する知識が急速に表面に出だした感がある。そういった知識や方法論の露出がある一定量を超えたときに「百匹めの猿」現象が起きて一挙に広まる可能性がある。

言うまでもないが「百匹めの猿」とは、ある島の一匹の猿が芋についた砂を洗って食べることを覚えたら、ほかの猿もマネをしはじめた。そして島の猿百匹がマネしたとき、全世界の猿が同時に芋を洗って食べはじめた。シェルドレイクの形態場理論だ。新しい現象、想念がある一定の分量になるとその現象なり想念の形は空間も時間も超えて伝播する。伝播じゃないか。なんと言うか、瞬時にその磁場のようなものが形成される。だから社会形態でも経済システムでも生死の捉え方でもなんでも、ある人間の集団の新しい認識なり試みが一瞬にして全世界に広がることがあり得る。最初はひとりでいいのだ。

だから人ひとりの想念の力もバカにできない。世界が滅んでしまえばいいといったひとりの想念もバカにできない。われわれは陰謀でも利己主義でもうらみつらみでも、ともかくいろいろな事情で攻撃をしかけてくるヤカラに恐怖することなく、不安になることなく、自分の仕事をするしかない。仕事だ、もはや。ゼランドふうに言えば、場に余計な擾乱を巻き起こさせないように自分の重要度をチェックし、欲っするもの望ましいものを当たり前に手に入れていくのは仕事なのだ。またアランふうに言えば幸福になるのは義務だ。なぜなら人は自分が幸福にならなければ他人を幸福にできないからだ。ということらしい。

なんでこんな話になったのか。神戸だ。尼崎ときて殺人事件だ。あまり感心した話題じゃなかったな。口直しに小話を。

ある人が死んであの世に行った。神様がいた。神様はその人のこれまでの人生を映し出して見せた。その人は感動した。なぜならその人の足跡と一緒に常に神様の足跡もあったからだ。神様はいつでもそばにいて自分を見守ってくれていたのだ。しかしふと見ると、自分が一番辛かったときに限って足跡がひとつしかなかった。その人は神様に言った。「ひどいじゃないですか! 私が一番辛い時期にほうっておくなんて!」神様は言った。「なにを言っておるのじゃ。あれはお前さんを抱き上げて歩いたわしの足跡じゃよ」

こういう話のほうがいいな。甘い?

トホホ

震撼している。

あろうことか1ヶ月も経ってしまった。違う次元に行ってましたってウソをつこうかとも思ったが今日び冗談にもならない。なんたるちあ。たしかに韓国行ったり、もろもろ新企画の策動にまつわる打ち合わせなど、仕事と酒に追われていたことはある。仕事と酒・・・仕事
しかし1ヶ月も空けるなど初めてだ。いらん配慮かもしれないが、万が一ご心配おかけした方がいらしたら申し訳ありません。

もはや前回何を書いたか忘れてる。と言ってブログをチェックしたりする。ああ、そうだ。プラトンの話を書こうとしたが、気になったことを羅列したのだった。でも、ピラミッドやクロップサークルが古代文明というか古代の人類からのメッセージだというのは個人的にはものすごく気になっているのは確かだ。前回のパーン・アンドフのガンマバーストによる太陽の巨大化や以前の記事に書いたイオン・アルゲイン氏の太陽の伴星の話などには妙に信ぴょう性があるように感じている。これは最近またにわかに取り上げられ始めた惑星ニビルとの関連でも興味深い。

でも、イオンさんは確か太陽の伴星の本ではニビルには触れていなかったように思う。太陽の伴星とニビルは違うのか、それとも取り上げないワケがあるのか。ただ単に太陽の伴星とニビルが違うのであれば、ニビルとは違うとかなんとか書いてもいいように思うし、これはやっぱり何か触れないワケがあるのだろうが、この書籍ではまずオカルト色を極力排除したかったと氏自身が書いているから、基本的にはNASAも否定しているニビルという惑星の名を出すのは避けたのだろう。学術書とまでは言わないが、いわゆるトンデモ本系には見られたくないというイオン氏のアピールにどこかしら決然としたものも感じ、何やら深刻さを感じるわけだ。

と思ってイオンさんのブログをチェックすると更新されていて、2012年12月21日は、太陽の伴星の地球に対する影響が始まる時期だということらしい。で、一番地球に影響をもたらすのは2050年だとある。ニビルは3600年周期で地球に接近し災害をもたらすとされているから、約2万6000年周期のイオン氏の言うところの太陽の伴星とはそもそも違うものかもしれないが、ゼカリヤ・シッチンを始め、これまであれこれ言われてきたニビル情報の正解版がイオン説であるように思えてしょうがないのはなぜだろう。氏はしかもその災害は防ぐことができるとし、それには人類がいろいろと協調していかなくてはならないと言い、その具体例も提案している。

先のパーン・アンドフのガンマバーストが2012年12月23日に太陽に到達し太陽が膨張し赤色巨星となり、2013年3月28日に収束するという説も、五井野正博士が2013年2月14日を危険日としてることと合わせると興味深いが、地球外生命体などの力を借りてフラワー・オブ・ライフの瞑想を皆んな行なえば地球にシールドを張れるというのはどうだろうか。いや、祈りの力はデカい。想念はもっとも大事な力だし、人類の集合意識が地球のエーテルエネルギーに影響を及ぼすというかそもそもが地球に起こることは人類の想念によるところが大きい。人間なら誰であれ例外なくその意識・想念は地球に影響を与えるが、問題はその規模だ。時空でさえ大多数の人間による合意の賜物に過ぎない。ゲリー・ボーネルの言葉を借りれば、

(略)出来事を時間軸にそって順番に体験、観察したいという集合意識の必要性のみが、時間と空間を作り出しています。したがって私たちは個人的にも、集合的にも、地上すべての生命体のために、「時空」に関する制限や境界線をシフトするという合意に達することができます。目覚めた存在は、地球のスピリットとロゴスとともに、エネルギー(物質)を再生し、必要なものを現実化することが可能です。
 私たちが顕在意識を通して「時間」に、潜在意識を通して「空間」に指示を与えられることを理解したとき、意図的に物質に変化を起こせるようになります。そうなれば最も大きな影響を与えている二つの要素、「時間」と「空間」を変えることができはじめるわけです。


というわけだ。だから規模は需要だ。人間の意識・想念の規模ね。量というか。その点で言えば、アンドフの瞑想の話は本当だ。世界中の相当規模の人間がフラワーなんとかでもいいが、祈れば、それこそ地球にシールドでもなんでもできるだろう。でも個人的にはそういう事態にはあまり期待できない。というか現実的でない気がする。今から緻密に予想したり計画したりするような形ではなく、おそらく日々の営みの中で、いろいろな現実的な事柄の積み重ねで、結果的に何かが始まるだけだ。で、日々の営みやいろいろな現実的な事柄を決定するのは各人の意識・想念だ。だから、影響力のあるメディア、テレビでも新聞でも雑誌でも有名人の発言でもブロガーの記事でも、ネガティブなことは発信しないほうがいいだろう。つまらないグチだとか誰かの悪口・批判だとかはどうでもいいが、ゼランドが言うように大災害・大惨事に関する予言・予知のようなものはただではすまなくなる可能性があるからだ。

がしかし、私見としては、本来人間誰もが持っている現実を自由に創造していく力というか叡智によれば何も心配はないと思う。で、レムリア、アトランティスのことを書きたいのだが、私の生半可な知識ではなかなかうまくいきそうもない。プラトンのことを書こうと思ったのも、そもそもアトランティスはプラトンが書いたものから出てきた話だし、プラトンの母ペリクチオーネはアポロ神によってプラトンを処女懐胎したって話もあるくらいだから(処女懐胎はレムリア、アトランティスから続くアセンションに関する重要なキーワードだ)、プラトンの話というか書いたものはレムリアやアトランティスの時代にあった叡智に通じている。と思う。とくに魂の話はそうだ。

話がややこしくなってきたな。なんだっけ。予言だっけ。いや、予言については前に何回かに分けて書いたからいいか。要は未来は決まっていない。というか自分が決めた未来しかない。他人の予言や予知に自分の未来を託すのはやめよう。とくに自分にとって望ましくない未来の話には。ということだ。

そう言えば、あるメルマガの情報によれば、周囲のサイキックの最近の意見として共通しているのは、首都直下型の大地震の危険性は当分なくなったということだそうだ。最も危険だったのは昨年の12月と今年の6月だったとか。ひょっとしたら何かを回避したタイムラインにのったのかもしれないが、天変地異、とくに地震や火山噴火などはいつきてもおかしくないということで防災意識をときどき高めることは当たり前だし、それだけで十分だろう。しつこいようだが、先の太陽の伴星のほうが個人的には気になるし、専門家も巻き込んで、事の詳細・真偽を早いとこ調査するほうが先決のように思うのだが・・・。

なまじっか前回の記事を読んだりしたから、何か似たような前回の続きのような内容になってしまった。とっちらかるのも変わらないし、やはり酒とかの話でもしてるほうがいいのかしら。

シャイニング?

♪月ヨープル、火ヨープル、水ヨープル、木ヨープル、ヨープルヨープルヨープルヨープル、わったーしヨープルキチガイよ!♪ってCMソング覚えている人は絶対60年代かそれ以前の生まれの人です。ヨープルってのは今で言うところの飲むヨーグルトみたいなもんだ。ガキのころはやった。最後のキチガイよ!というところが歌いたくてみんな歌ってた。が、ある日消えた。そりゃそうだわな。

月曜一日会社へ行って、火曜日夜更けに九連宝燈、水曜ひと晩小説書いて、木曜3時の四間飛車、金曜、日暮れに庭木をいじり、土曜日たそがれ馬券の吹雪、日曜朝から愛妻家、月々火水木金々、酒を呑みますサケなくて、何で己れが桜かな。

ってのもあったが、あれは山口瞳『酒呑みの自己弁護』の帯にあったコピーだ。高校のころ私はこの本をバイブルのようにしていて、酒呑みのウンチクを粋がって話してた。そのひとつに二日酔いの話があって、升田幸三だか井伏鱒二だかもう忘れたが、二日酔いのときはどうするかって聞かれて、ぬるい風呂に浸かってだんだんと熱くしていく、すると酒が抜けていくと。センセイ、その後どうすんですか?と聞くと、なんでこいつはそんなことを聞くんだ?というような顔をして、また飲むんだよ、と答えた。

シビレたね。

いや、すみません。なんだかんだ飲んでばっかりいたら、こんな時間が経ってしまった。毎回毎回飽きもせずよく同じことばっかり言えるなと自分でもほとほと愛想が尽きる。馬鹿は死ななきゃ治らないって言うが、ホントだね。でも、毎日毎日同じこと言うカミさんも気の毒っちゃあ気の毒だ。昨晩なんか、小学生のころの娘が夢に出てきて、お父さんホントはもう長くないんでしょ、と涙ぐんでたもんな。さすがの私もほろっときて、誰がそんなこと言ってんだ? 大丈夫だよ、と抱きしめるんだからどんな安手のドラマだ。

でも夢から覚めてからふと思い出したのは、先日の夜、部屋で本読んでたら居間からカミさんと娘の話し声がとぎれとぎれに聞こえてきて、娘が、お父さんが死んだら家のローンはなくなるんでしょ、と言ったのだ。なんだあ、あいつら何たくらんでんだあとマヌケな顔して私は大人っぽくひとり苦笑して見せたが、待てよ、と思い、後日、私とカミさんとカミさんの親しい友人(女性)と酒を飲んでるとき、その友人に、俺は主義と言うかポリシーというか趣味というか、とにかく自殺というのは絶対にしないから、もし俺が突然死んだら、それはおそらく他殺だろうから、よろしく、とくに○○(カミさんの名)をまず疑ってくれ、と頼んだのだが、その友人は、んーと3秒くらい考えてから、そんときはたとえ真実はどうであれ、私は○○ちゃん(カミさんの名)の味方になるしかないわねえ、とすまなそうに言った。

私は家に帰ってから、こりゃダメだと思い、カミさんに、○○ちゃん(先のカミさんの友人)もアテになりそうもないから、○○(私とカミさんの共通の男の友人)に同じことを頼んでおくから、と言うと、カミさんも3秒ほど考えてから、○○くんも可哀そうに、アンタ、あまり他人を巻き込まないほうがいいわよ、と能面のような顔で言ったのだ。こりゃ最後は息子に託すしかないと思ったが、あんな2次元の女にしか興味を持っていないような次元の低いヤツはもっとアテにならないだろうとあきらめた。

となると、娘が可愛いさかりの小学生のころの姿で私の夢にまで出てくるというのは、これは何かある。しかも、もう長くないんでしょなどと洗脳というか暗示めいたことまで囁く。うーむ。私はうなったね。想念戦争はもうすでに始まっているのだ。しかも身近なところから。とは言え、仮にカミさんのたくらみがうまくいったとしても、カミさんは自分のしたことの後始末を必ずつけざるをえなくなる。それは一応縁あって連れ添った身としてはほうってはおけない。迷える子羊を救ってやらねば。

でも待てよ、と私はまた思う。果たして彼女は迷っているだろうか。迷うような女か? おそらく罪悪感すら抱かないのではないだろうか。昔、弘兼憲史がどこかで書いていた。政治家の賄賂問題で世の中が騒いでいたころだ。妻の柴門ふみが、賄賂でぎゃあぎゃあ騒いでるのを見て不思議だと言ってたと。自分がしてほしいことをしてくれるだけの力を持ってる人間がいて、その人間が自分のしてほしいことをしてくれたら、それだけのお礼をあげるのは当り前だ。その人間だって、その人のしてほしいことをしてあげるだけの力なり立場を持っているんだからこそできるんであって、その見返りをもらうのは当たり前だ。私だったら袖の下だろうがなんだろうが当たり前にもらうし、罪悪感などこれっぽちも感じない、というようなことを言ったらしい。

それを聞いて弘兼は、こりゃ女が政治家になったら大変だと思ったとかなんとか、そんなエッセイだったと思う。私は弘兼って漫画家の作品は知ってはいるが読んだことはないから、そのときは特になんとも思わなかったが、今になって弘兼の気持ちがよくわかる気がする。

女というのは空恐ろしいわな。男同士ならまだ論理的に話せるもんな。ああそうか、お前の言うほうが正しくて俺は間違っていたとか、決着がつく場合が多い。逆に、論理的な破たんを指摘されて、納得できずにヒステリーを起こす男は、ただのガキか、女々しいヤツと相場は決まってる。でも、男でも、社会的な理屈で正しいことがらであっても、義理だ人情だの諸事情で筋が通らない場合は問答無用に行動に出ることがあり、その場合もだいたいにおいて行動に出るヤツの言い分のほうが正しいことが多い。花田秀次郎みたいに。

そういえば三島由紀夫は、女が男に一生勝てないものがふたつあると言った。それは知性と筋肉だと。

でもミシマさん、最近なんだかそのご高説もあやしくなってきました。知性とか筋肉が輝いていた時代とは様子が変わったようです。

なんの話だまったく。

ほらもう時間がない。本当はプラトンの話をしようとたくらんでいたのに、くだらないマクラからまたわけがわからなくなってしまった。久しぶりのブログでこれか。このあと時間あれば、なくても早めに、プラトンのっけよう。「魂」についての話です。

せっかくだから、女、スピリチュアル、想念の戦い、っていう3題噺で、トリシュ・ジェーンシュッツの『霊能者狩り』を貼っておく。無理やりっぽいが。これも女の作家によるちょっと不気味なSFサイコミステリー。テレキネシスだ、クレアボイヤンスだ、サイキックのてんこもり。でも、この小説の内容は今になって現実味を帯びてくる……
<家!--メインコンテンツここまで-->
プロフィール

∞酒林∞

Author:∞酒林∞
世の中の皆様こんにちは。
私はただの夢見る酔っぱらい。
夜な夜な昼間にそば屋うなぎ屋ラーメン屋、
飲んで歌って吠えてます。
いつまで続くか酔っぱらい。
帰ってくるのか酔っぱらい。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧

過去ログ倉庫:黄金の金玉を知らないか?

山田貢司のどこに行くのか?バカボン一家
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。