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貞操観念

近所で飯がてら酒飲んで帰ってきました。
あ、事務所ね。

今日は来年に向けてのというか現在進行中の企画を整理しようと午前中から事務所にいるわけだが、ここのところ気になってたキューブリックの『EYES WIDE SHUT』をまたもや観なおしちゃったりして、仕事にならない。いい加減ヤバイねどうも。前にもこの映画のことはちっとは書いた覚えがあるが、どうにも名作だ。やはり本人も言ってたようにキューブリックの最高傑作かもしれない。どうやら私はフリーメーソンだイルミナティだといった観点に重きを置きすぎていたようだ。こりゃ違うね。当たり前だが、やはりキューブリックは私なぞが小賢しいゴタクを並べていいような男ではない。あの映画は“現実”を描いている。つまり“夢”を描いている。そのへんは最後のトム・クルーズとニコール・キッドマンの会話にも如実に現われている。

ここのところの一連の流れで、結論から言うと、ひょっとしたら最終的な呪縛は貞操観念かもしれないねってなことを再確認しながら仲間と酒を飲むことが多いのだが、それで思い出してEYES WIDE SHUTなどを観なおしてるわけだ。映画の内容を言うとまた止まらなくなるから言わないが、貞操観念のようなどっから涌いてきたんだかわからん呪縛に関するいかがわしさは、みんなホントはわかってるんだが、いやいかがわしさはわからなくてもヤリたいことはわかってるのだと思うのだが、まだ、大っぴらに言えないというか、まだ、それはアンモラルだよってことになっているようだ。かく言う私もからっきしダメで(ちょっとウソ)、実名をあげるとアレだが、あんな人もこんな人もってんで、けっこうお盛んな人が身近にはけっこういる。いや、うらやましいこってすホント。なんてったって本人はヤマシイなんてこれっぽっちもないんだからなおさらウラヤマシイ。

とは言いながら、私は、あんま言うと蹴倒されそうだが(カミさんに)、カミさんと一緒になるかならないかのときに、まああれだな、理想の夫婦は、自由に気に入ったヤツと付き合って(もちろん大人の付き合いだ)、今日の相手はなかなかよかったゾかなんか言って、お互い酒でも飲みながら楽しく話せる関係がベストだな、などとほざいていたのだこれが。カミさんは、じーっと私の目を見ながら、あなたに本当にそんなことができるの? と言ったのだ。考えてみりゃあ見透かされていたのかもしれない、すでに。でもこれは天地神明に誓って言うが、本当にそう思っていたのだ、そのときは。

まずいね、どうも。酔っぱらってるから何を言い出すかわからなくなってきた。あせって話題を変えようと思うのだが、今思い出したが、さっきひとりで飲んでた居酒屋のカウンターで、ふと横の壁を見ると千利休の言葉が貼ってあった。

一の盃は人が酒を飲む。
二の盃は酒が酒を飲む。
三の盃は酒が人を飲む。

それを見ながら、まったくその通りだと思いながらも、私の場合は「盃」ではなくて「酒場」だななどと心の中でうそぶき、ふと四のあとはどぉなっちゃってんだよと岡村靖幸ばりに心の中で叫び、おおそうだ、そのあとはまさしくアリスズアドベンチャーズインワンダーランドに行くのだった!と合点が行った。

…糸の切れたタコのようにヤバい方向に話が行きそうなんで、本能的になんとか話をはぐらかしているんだと自分でも思う。

まあ、夏目祭子氏の『なぜ性の真実「セクシャルパワー」は封印され続けるのか』を思い出すまでもなく、とんでもなく重要なテーマであることは間違いないわけだ。ただ、危険なのだ。まだ、と言うとあれだが、結局そこに向っているのだけれども、間違っちゃうととんでもなくなる。またいつか来た道だ。でも今回はあとはない。だから行くしかないのだが、これは単純に物理的な問題だ。数ね。人数の問題なのだ。やっとそこまで来た。

…酒飲んで事務所戻って、なんだかんだとPC叩きながら(これね)、EYES WIDE SHUTと書いたメモをちら見しながらまた飲んでるわけだが、ふと気が付いて、EYES WIDE SHUTをバラしてみたら、WE SEE HIS DUTYとなった。まあ、こりゃウガちすぎか。とは言えキューブリックはアナグラムが好きだったらしいからあながち…ってでもこれは悪ふざけがすぎるなやっぱ。

ともあれ、映画観てない人にはわからんヨタ話だわな。
お開きにしよう、酔っぱらってきたし。
いま何時? 1時過ぎじゃん。本読んで寝よ。あ、この本のこと今度書きます。
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映画って本当にいいもんですねえ

よくまあ毎日飲んでると自分でもあきれる。打ち合わせだ食事会だと言ってはいるが、やはり飲む。打ち合わせは毎回しっかりやるし新企画や新しい人脈にも必ず繋がるのだが、飲む。これは外国人とも同じだね。といっても最近はアジア人とばかり会っているが。体がもたないときもあるし、よく人からは、ご自愛を、といわれる。よほど心配されるような飲み方なのだろう。でもまあ、私は15歳から飲んでいるから今さらジローだし、死んだ親父も毎晩欠かさず大酒かっくらっていたが肝臓はなんともなかったという人間だから、自分もそうなのかもしれない。飲んでるほうが調子がいいくらいだ。そういえば新宿のG街で西部邁氏と同席したとき酔っぱらいの話になって、西部氏は、人間酔っぱらってるくらいがちょうどいい、そりゃ時には間違いもあるだろうが、酒はやがて醒める、すると反省する、反省したぶんだけ進歩する、現実は永遠に醒めない悪夢のようなもので・・・などと言っていたのを思い出す。西部先生、私はもう30年以上もちょうどよく生きてきたんですかねえ。

昨夜はバカボン山田さんたちと軽いオフ会&打ち合わせ。話は尽きず、あっという間に時が経った。いろいろ始動し出したって感じ。帰って家でケーブルテレビをつけたら『空の大怪獣ラドン』をやってて、ありゃと。ちょっと前にこのブログのコメント欄でラドンの名が出たこともあり、そのまま観てしまった。

1956年だって。終戦から10年でこういう映画を作ったというのも何だかすごい気がしてきた。東映初の総天然色映画というのも力が入ってないか、怪獣映画だぞ。東宝のゴジラから始まってラドンにモスラ、ガメラにギャオスにキングギドラときたもんだ。小学生時は何とも思わず夢中で見てたが、ウルトラマンにしてもセブンにしても、日本の怪獣ものはやっぱり大したものなんじゃないか。怪獣も何とか星人もいろいろ悪さをするのだが、そして最後は正義の味方にやっつけられて死んじゃったり逃げたりするのだが、どこか一抹の哀しさがあるような・・・。ラドンだって最後は溶岩に焼かれてゆっくりと死んでいくが、それを見ている自衛隊の連中にも悲しみの表情があったような・・・。ゴジラにしたって人類が作った核のせいで生まれたわけだろう? 生まれてはみたもののまた人類によってやっつけられる。うーむ、ゴジラの立場は。

でも特撮ものの原点はやっぱりアメリカのキングコングだろう。円谷英二があれを観て特撮の監督を目指したってくらいだからね。さすがアメリカ、ああいう大ナタ振ったようなエンターテインメントはうまいというかスケールがでかいというか。キングコングは1933年。日本人も度肝を抜かれたんだろうな。何でも、あの怪物は本当にいるのかと問い合わせが殺到したというから、かなりの影響を受けたでしょう。

影響といえば、日本の黒澤明や小津安二郎たちの映画の世界への影響は言うまでもないが、ユル・ブリンナーやスティーブ・マックイーン、ジェームス・コバーンが出た『荒野の七人』という映画は子ども心によく覚えている。黒澤の『七人の侍』のリメイク。横行している強盗団の村の略奪から貧しい村人たちを守るために七人の男たちが安い報酬で用心棒となる話だ。話も面白いが、印象に残ったのは、その中のひとりが死ぬ場面。そいつは、そんな安い報酬(20ドル)でこんな仕事を引き受けるヤツがいるわけがない、何か裏があると勘ぐっていて、ユル・ブリンナーたちや村人に聞いて回っている。そんなものはないと言っても、まあいい、とか言って訳知り顔でニヤニヤしている。最後、撃たれて死ぬのだが、死ぬ間際ユル・ブリンナーに介抱されながら、最後に本当の目的を教えてくれと言う。ユル・ブリンナーはちょっとの間考えていたが、金(きん)だ、という。そいつは、やっぱりなというふうにニヤっとして、いくらだ?と聞く。ユル・ブリンナーは50万ドルでひとり7万ドルだと言う。そいつは心底嬉しそうな顔をして死んでいく。うろ覚えだがそんな感じだった。そのシーンが妙に印象に残った。

ユル・ブリンナーはなぜ嘘を言ったのか。死んだあいつは何で安い報酬の仕事が信じられなかったのか。まあ、今となれば理解できるが(当たり前だ、いい歳なんだから)、当時の私にはよくわからなかった。というか、ユル・ブリンナーが相手を思って嘘を言う気持ちはなんとなくわかったが、そいつが金づくでしかものを考えないという感じがわかりにくかった。他の六人たちの内面は、日本の映画というか日本にある物語の流れとしてはわりとわかりやすいものだ。でも当時のアメリカ人たちにとっては、あえて原作にはないあのシーンを入れないと、仕事に意気を感じた他の六人の男たちの心情というのがうまく理解できなかったのではないか。誤解されるとまずいが、アメリカ人が皆、金づくでものを考えていると言ってるのではない。その証拠に、ユル・ブリンナーは黒澤の『七人の侍』を観て感激したわけだから。あれ、ユル・ブリンナーはロシア人だっけ?

私の中ではベスト3に入る映画に『無法松の一生』がある。何回観ても最後は涙を禁じ得ないのだがっていうより号泣ものなのだが、『荒野の七人』の話を書いてたら思い出した。『無法松の一生』は戦前の阪東妻三郎主演のものと戦後の三船敏郎主演のものの2本が有名だ。阪妻のほうは検閲を受けていくらかカットされたので、監督の稲垣浩が戦後三船版で完全リメイクした。私は両方観ているが、三船版が好きだ。相手の女優が高峰秀子なんだよね。九州小倉の超貧しい車夫、松五郎の話。出自の問題(だろう)で人力車夫になっている松五郎だが、その男気と肝っ玉は世が世ならどれほどの偉業を成し遂げ得ただろう。世話になっていた陸軍の大尉が死んで、その未亡人(高峰秀子)に恋するがじっと胸に秘め、ひとりっ子の敏雄ともども陰に日向に見守っていく。日本映画の傑作のひとつだと思うが、脚本は伊丹万作だ。伊丹万作は日本映画を代表する監督のひとりだが、戦中はいっさい戦争礼賛映画は撮らなかった。本人は病気して撮れなかっただけと言うが、そうではないという説もある。息子の伊丹十三もそのへんに思いがあり、俳優から後に映画監督に転身し、『マルサの女』『ミンボーの女』ほかいろいろ映画を撮った。のではないかと勝手に思っている。伊丹十三にはもっともっと問題作を製作してほしかったが、死んでしまった。

『無法松の一生』には原作があるが、伊丹万作の脚本としてのほうが有名だ。戦争中、中国人たちがこの映画を観て、感激しまくって、日本人というのは一体どういう連中なんだ的なことを言ったという話をどこかで読んだ。

伊丹万作は昭和21年というから終戦の翌年、戦争犯罪人を糾弾する団体の発起人に名を連ねていたが、そのいきさつ他、誤解をあらためる文章を『映画春秋』に寄せていて、その人となりがよく出ている。一部抜粋するが、伊丹万作は日本の将来もある種見通していたともいえるかもしれない。

(略)つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。(略)
(『映画春秋』昭和21年8月号)


何だか話がへんにそれたような気もするが、まあいいか。

これからまた飲みに出ます。18時に高円寺か・・・

死んで貰います

またもやあっという間に1週間が過ぎた。ってこればっか。お前は玉置宏か。

この間家で酒飲んでたらカミさんが、♪戦争を知らない、子ぉどぉもたちぃさあ~、って歌を知らない子ぉどぉもたちぃさあ♪って歌ってて、思わず口から菊正を吹き出した。バカヤロー、おもしれえじゃねぇか!と叫んでから考え込んだ。確かにそうかもしれない。ジローズの「戦争を知らない子供たち」は小学生5、6年のころだったかに流行った。70年代初期。ジローズって杉田二郎がいたフォークグループね。杉田ともうひとりの何とかジロウってのがいて、ふたりでジローズ。杉田二郎といってもある年代以下はわからないんだろうな。あの顔の大きな人だ。「ANAK」を歌った人といってもわからないか。ジローズの前はシューベルツにいた。あの『風』の、はしだのりひことシューベルツ。♪人は誰もただひとり、旅に出て~♪の「風」だ。はしだのりひこ(端田宣彦)は好きだった。小柄で、フォーククルセダーズの加藤和彦と並ぶとオール阪神巨人かとツッコミたくなる。

はしだのりひこはいろいろとグループを結成したが、クライマックスの『花嫁』はバカヒットした。はずだ。♪花嫁は、夜汽車に乗って~♪、は70年前後に物心ついてる人なら誰でも知ってる。はしだのりひこの歌は、ずべてじゃないが、好きだ。とくに「花嫁」は好きだった。メロディにどこか哀しさというかロマン(という言葉は大嫌いなのだが、こういう言葉がぴったりくることもあるのだな)というか、何かある。「風」はあまり好きじゃなかったのだが、メロディにはやはり「花嫁」と似たオリジナルなものがある。考えてみれば、「戦争を知らない子供たち」も「風」も「花嫁」も作詞は北山修だ。出たぁって感じだが、当時のお兄さんたちには北山修はバカにされてたと記憶する。左翼系の活動家とか。加藤和彦もそうだが、大学出のインテリでどこか軟弱でムカつく的なことだったんじゃないだろうか。ヒットも飛ばしてるし。

まあ、戦後生まれの連中が音楽活動を始めれば、そりゃ、戦争を知らない子供たちくらいの歌詞は出てきてもおかしくはないが、やはり軽薄っぽさを否めない感があるのもわかる気がする。確かに北山修の詞は私もあまり好きではない。なじめないというか、どこかウソっぽい感じ。作りものっぽいというか。なぜだろう。

しかし戦争で苦労した世代にしてみれば、そうか、もう戦争を知らない若者たちが世の中に出てきてるのだなと、複雑ながらも感慨深いものがあっただろうし、同世代の活動家だったら、何が戦争を知らない子供だ!フヌケたことをいってるんじゃない、総括だぁと、ゲバルトかけながら別の戦争を起こしていたわけだ。

そんな「戦争を知らない子供たち」だが、その歌ももう知らない世代がいる。そりゃそうだろう。今から40年前のヒット曲だ。ヒットした72年の40年前といったら1932年じゃないか。昭和7年。私の親父が生まれた年だ。もう死んだけど。島崎藤村が「夜明け前」を書き、藤山一郎が古賀政男の「影を慕いて」を歌い、5.15事件で犬飼毅首相が死んだという年だ。歴史の教科書で知るような世界だ。そうか、あの70年代って時代はもはやそんな昔の話なのだ。ついこの間って気がするのだがダメでしょうか。

あの時代、60年代後半から70年代初期といえば、もうひとつ流行ったものがある。高倉健の「昭和残侠伝シリーズ」だ。東映の大ヒットヤクザ映画だ。♪義理と人情を秤にかけりゃぁ♪で始まる高倉健の主題歌「唐獅子牡丹」でも知られる。死んで貰います、ってヤツだ。あれは当時の右翼にも左翼にもウケたらしい。流れ者のヤクザ花田秀次郎(高倉健)とこれまた流れ者のヤクザ風間重吉(池部良)、このふたりを軸に話が展開するのだが、構成的にはほとんど同じ。悪・非道の限りをつくす悪の親分側(河津清三郎や須賀不二男、いい味出すんだよなあ)の仕打ちにじっと耐えに耐えて、最後の最後に堪忍袋の緒が切れて、ドス1本持ってひとりでのり込んでいってたたっ切る。親分の屋敷に行く途中で風間重吉と出くわし、一緒にのり込むのも同じ。むしろそのふたりの道行きがこの映画のキモにもなっている。今の俺にゃあ、生まれたときは別々でも死ぬときは一緒の、兄弟ぇ、おめえだけだ、かなんか言って、相手の肩にかかった雨だか雪だかをささっと払い、見つめ合うみたいな。

まあ、ある種の勧善懲悪、ヒロイズムの映画ともいえるのだが、私はこの映画の世界感がウケたのだと思う。世界観じゃないよ。世界感。このシリーズは9作あって、私はすべて数限りなく観ていてセリフも覚えているくらいだが(もちろんビデオ。家で観まくって家族に顰蹙を買うことがある)、特に7作まではどれも好きだ。最後の2作は主題歌の伴奏も変わって妙にメロドラマっぽい感じであまり好きではない。でも、この間某カリスマAV監督と飲んでたら、監督も昭和残侠伝シリーズが大好きで大いに盛り上がったのだが、一番好きなのは8作目の『吼えろ唐獅子』だという。今度、もう一回ちゃんと観てみよう。シリーズの監督はほとんどがマキノ雅弘と佐伯清が撮っているが、1本山下耕作もある。何といってもマキノ雅弘監督作品はセリフの言い回しといい、シチュエーションといい、活劇っぽさが残ってて、下町人情を描かせたら天下一品だ。落語的というか、登場人物に腹蔵がなく、陰隠滅滅としたところがない。実にカラっとしていてわかりやすく、裏表がない。悪は悪だし。それも時代設定が戦後すぐとか、大正の初めだとかいろいろあるが、悪にとっては金がすべてで、善側は金よりも義理とか人情とか粋(イキ)が優先する。悪側も、今はなあ、自由主義の時代なんだよ、食うか食われるかなんだ、などとスゴみ、ワイロを使って市議会議員と癒着したり警察と組んだりしていて、なんだか今とあまり変わってないのもおかしい。悪の考えることってのはいつの日も変わんないのかね。ちょっと高度に複雑化するだけで。日本人というか、やっぱり人間は金の亡者、金の奴隷、金に支配されてるような連中にはいつの日も嫌悪を覚えるものなのだろうか。だから、義理だ人情だといってる連中のイキっぷりのほうに溜飲を下げる。そういった世界の感じ、雰囲気、ひょっとしたら真実に、無意識に憧れ、賛同してるんじゃないだろうか。だから当時も右も左も関係なく拍手喝采を贈った。そう思いたい。

第1作目の『昭和残侠伝』が1965年、ちなみにこの作品には六代目三遊亭円生が出ている。あ、それで思い出したが、このときの高倉健はいただけない。いやいいのだが、一点だけ気に食わないところがある。このときはヤクザではなく、庭場(ニワバ。テキヤが商売する場所、シマのこと)を仕切る関東神津組の五代目親分って役なのだが、テキ屋連中に対して「亡き四代目、川田源之助に代わって・・・」と話す場面があるのだが、これをヨンダイメと言ったのだ。四代目はヨダイメといわなきゃいけない。さすが円生はヨダイメと言ってた。昔、新宿のゴールデン街の将棋の棋士たちが集まる店で9段の棋士に向かってキュウダンと言って、一緒に行った先輩からハタかれたことがある。バカヤロウ、キュウダンってなんだ!クダンだろクダン!だって。これには恥かいた。まあ私もイキがっててもこの程度ですがね。それはともかく、最終作9作目『破れ傘』が1972年。本当にある種フォークソングが広まる時代ともリンクしているのがわかる。

実は昭和残侠伝が好きだなんて誰にも言わなかった。なんとなく恥ずかしかったのだ。でもいつだったか、ずいぶん前に蓮實重彦が好きな映画ベスト3だか5をどこかの雑誌に披露していて、洋画では1位が確かドライヤーの『奇跡』だったと思うが、邦画ではなんと1位に昭和残侠伝シリーズ7作目『死んで貰います』をあげていたのだ。なぬ!あのハスミ大先生が? それから胸張って昭和残侠伝が好きだなどと公言してはばからないようになったわけだから私もなんとも情けない。そういうほうが恥ずかしい。いやそれはどうでもいいのだが、ウチの娘が、ときどき呟くのだ。生まれたときは別々でも死ぬときは一緒・・・。おいおい・・・。

戦争を知らない子供たちって歌を知らない子供たちも増えてるかもしれないが、その親によってはそれと同時代の別ジャンルに意外と通じてたりして。

アイズ・ワイド・シャット

何事もなく穏やかに2012年の三が日が過ぎようとしている。明日は、玉蔵さんパスヘブジョイント嬉し嬉しコンサートのリハーサルがあるから、朝から会社行ったりデジカメ用意したりで忙しくなりそうだ。が、私はあくまで裏方というか冷やかしというか野次馬なので、皆の邪魔にならないように端っこで酒でも飲んでいようと思うのだが、顰蹙かうかなやっぱり。

のどの調子もだいぶよくなった。こんなに風邪?が長引いたのもかつてない。夜の咳が治まっただけでもよかった。カミさんからは、タバコのせいよ、といわれたのだが、たしかに最近タバコを吸い始めた。もう10年以上も吸っていなかった。前はだいたい2日に3箱くらいマルボロライトを吸っていた。ヘビーというほどでもないが、少なくもない。あるとき風邪をひいて、朝タバコを吸ったらすごくまずかった。うわっまず!と思ってそのまま吸うのをやめた。まあ、15歳からずっと吸ってたんだからもういいかっていう気持ちもあった。それで10年以上も吸わなかったのだが、禁煙していたわけじゃない。ただ吸う気にならなかっただけだ。それがバカボン山田さんと会って、山田さんが吸ってるタバコがすごくうまそうだったので1本もらって吸ってみたらこれがうまかった。久しぶりに吸ったからうまかったのか、そのタバコがうまいタバコだったのかはわからないが、私とは相性がいい気がした。どんなタバコだろうと調べたら、無農薬無添加の葉を使ったナチュラルなものだということがわかった。

吸うといっても、今のところ酒を飲んでるときに3~5本吸うくらいだ。タバコを吸うようになって気がついたが、値段が高い。400円以上は当たり前。私が吸ってたときは280円だったように思う。あと喫煙場所が極端に少ない。店内全面禁煙の店もたくさんある。そういえば2年くらい前、上野の焼き鳥屋のカウンターで同僚と酒飲んでて、同僚がタバコに火をつけたら隣のオヤジが、ちょっとやめてもらえます!と睨みやがった。私はそのときまだタバコを吸い始めてなかったが、私自身、人が吸うことにはなんの抵抗もない。同僚は、すみません、とぼそっといってタバコを引っ込めたが、おかしいだろと。禁煙の店でもなく、カウンターの上には灰皿がいくつも用意されていて、やめてもらえますだあ? お前が酒飲むのやめろ。禁煙の店行くか、お前自信がタバコを吸わないヤツの隣に行けと。だいたい上野の焼き鳥屋で酒飲んでてタバコがどうのとほざいてんじゃねえ。お前は酒飲みの風上にもおけないオカマ野郎だ。表へ出ろ! といおうとしたら、なじみのマスターが察知して、ごめんね、この人タバコ吸わないから、こっち来て飲まない? 悪いね、というからなんとか収まった。すみません、人間未熟で。

でも、世の中の禁煙、嫌煙はちょっと行き過ぎだ。まるで喫煙者は犯罪者のようだ。前になにかの陰謀論で、それはフィリップモリス系の利益団体とロックフェラー、ロスチャイルド系の金融、エネルギー関係の利益団体との縄張り争いだ的な話を聞いたことがあるが、実際はわからない。それとは別に、タバコはスピリチュアル的にも欠かせないアイテムだという話もあって、タバコ、大麻、線香のような煙が出るものの鎮静作用その他、煙そのものの効用などについてはまだ一般的に知られていない真実がこれからどんどん出てくるかもしれない。隠されていただけかもしれない。

煙が宙を漂っているところはどこか神秘的だ。タバコをくゆらして大きく吐き出すと、煙それ自体の重みなのか、空間にあるなにかエネルギー的な圧の分布によるものなのか、煙が独特の動きを見せて流れていく。映画なんかでもタバコの煙の印象的なシーンがある。ルキノ・ヴィスコンティの『家族の肖像』で、ヘルムート・バーガーたちが裸で抱き合うシーンもそうだ。例のイヴァ・ザニッキの『心遥かに』が流れる場面ね。シーン冒頭で画面の暗闇にタバコ(たぶんマリファナだ)の煙がふわぁと流れてくる。ザニッキの挿入歌ともあいまってなんとも抒情的なシーンだった。タバコではないが、スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ・ワイズ・シャット』でも、フリーメーソンの儀式を暴露したといわれているシーンで、トム・クルーズが館に潜入すると、円陣を組んだ裸の女性の前を司祭がゆっくりと練り歩いている。司祭は鎖のついた香炉を振り子のように回転させている。香炉からは煙がくゆっていて回転するたびにあたり一面に煙を漂わせていく。ホールではラテン語だかアラム語だかなにか呪文のようなお経のような声明が流れていて、いやがうえにも陶酔を誘う。見ているこちら側にまで香炉の煙が匂いとともに漂ってくるようだった。

『アイズ・ワイド・シャット』はキューブリックが編集段階で急死したせいもあり、いろいろな憶測を呼んだ。フリーメーソンの儀式を暴露しようとして暗殺されたともいわれた。たしかにキューブリックは徹底して秘密裏に撮影をおこなったようだし、だいたい例のアポロ11号の月面着陸の映像もキューブリックの特殊撮影だといわれてるくらいだから、憶測のネタとしてはキューブリックにはいくらでも材料がありそうだ。アポロといえば副島隆彦氏の『人類の月面着陸は無かったろう論』は一読に値する。これを読んでなお月面着陸が本当にあったと主張できる人はあまりいないのではないか。副島氏の主張によれば、人類はまだ宇宙に行けるほどの技術を持っていないということだ。宇宙飛行士がしょっちゅう宇宙に行ってるじゃんといっても、国際宇宙ステーションは地上400kmくらいのところだ。月までは38万kmだからなあ。そこまで人類が行って戻ってくる。うーむ。でも、副島氏のいうように、世界中が釘づけになったあの月面着陸の映像はおかしい、という主張もその根拠もよくわかるが、だからといって人類が月に行ってないということにはならないんじゃないかと思う。別の解釈というか情報によれば、月に行ったはいいが、やはりUFOに遭遇しちゃったので、あわててNASAは前もって準備しておいたあのキューブリック(といわれている)の映像に急きょ切り替えたということだ。たしかにアポロ計画はその後尻つぼみになり、結局アメリカは宇宙開発をあきらめたかのような感じになる。これは、やはり人類には無理だからなのか、軍事的に知られたくない事実を隠しておくためなのかはわからない。ネットや書籍でも両方の見方がある。

話が飛んだが、キューブリックが最高傑作と自画自賛したという『アイズ・ワイド・シャット』は、そのタイトルからして意味深だ。目を、大きく、閉じよ、とは形容矛盾だ。これもいろいろ解釈があるようで、手で顔を被って見ないようにするのだが、指の隙間からちゃんと見る、という意味から、真実を目でちゃんと見たあと、やはりそれを忘れるために目を閉じる、人には知らなくてもいいことがある、といったような解釈まで、さまざまだ。それでも、キューブリックはなにかしらの真実というか事実を公開したかったのではないか。編集途中で急死したので公開された映像が本当にキューブリックが望んだものだったかどうかはわからない。噂によれば、映画では公開されていない儀式のシーンもあるということらしいが、まあ、この手の話になるといろいろ面白おかしく取りざたされるのが常だから、そのへんは個人的にもエンターテインメントにとどめておきます。あまりマジで突っ込むとドツボにはまるからねえ。

とにかく、タバコを吸い始めた私ですが、まわりのスモーカーたちが次々と禁煙に取り組んだり、実際に禁煙したりしている中、私はまったく逆行してるということではあります。だからというわけではないが、私はタバコ飲みの味方です。どだい、禁止するとか規制するとかっていうような方向のキャンペーンみたいなものはどこか信用できない。そう思いません?



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プロフィール

∞酒林∞

Author:∞酒林∞
世の中の皆様こんにちは。
私はただの夢見る酔っぱらい。
夜な夜な昼間にそば屋うなぎ屋ラーメン屋、
飲んで歌って吠えてます。
いつまで続くか酔っぱらい。
帰ってくるのか酔っぱらい。

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