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ミロクの世

風邪が治った。若干おかしいところもあるが大丈夫だ。今回は自分の症状としてはめずらしく、ちびっと頭痛がしたり吐き気がしたりした。ただの二日酔いだろと言った意見もあるが、私は生まれてこのかた頭痛というものは経験がないのだ。いや、頭ぶつけて痛えよ!ってのはある。でも頭痛はしたことがないので、今回の風邪でツンツンと頭の芯だか横だかわからないがへんなとこに痛みがあったことに驚いた。あと、吐き気。ノロかとも思うがそんなにひどくないので、これはまあ胃腸が弱ってるところに飲みすぎたからだろう。まあ、私の風邪の症状などどうでもいいか。

選挙ですよ。選挙。もう終わったが、私もみなさんと同じく、未来の党の惨敗ぶりと自民党の大勝ぶりに大いに驚き、なんじゃこりゃぁー!と怒りまくり、これは間違いなく不正選挙だ!、日本の闇はここまで深かった!、これは想定外だった、おい、こんな日本にはいられない、脱出するゾ、とカミさんと娘にがなりたて、どこに行くのかしら?、と聞き返されたので、うるさい!どこでもいい、日本じゃなけりゃどこでもいいんだ、なんなら中国でもいい!、と支離滅裂のことを言ったのを自覚できたので、ふと冷静になった。

しても、未来の党の9議席はないだろと思うのだが、まあいい。個人的にはほんとに想定外だった。でも、ヤスさんによれば、想定できる危機は回避されるので、これもありだ。私としては、民自公維新の連立で過半数を超え、未来その他で100超えくらいを予想していた。案の定、私ごときの予想・想定は木っ端微塵にされ、まったくの想定外のことが起きたので驚いているわけだ。でも、これはまわりの反応を見るとあながち私だけではなさそうだ。

しかしここで私がというか世の中で言われてるように、これで原発が再稼働し、TPPにも参加し、消費税も10%に上がり、自衛隊が国防軍になり中国とドンパチをはじめることになった・・・と想定すれば、むしろ逆に、そんなことは微々たることだったというような、とんでもない想定外が起きるのかもしれない。あるいは、このまま自民が暴走し、憲法改正を筆頭に世論をまったく無視した横暴ぶりを発揮して、来年7月の参議院選挙で手痛いしっぺ返しを受け、自民惨敗ねじれ国会となり、未来の党を中心とした勢力に勢いがつき・・・といった想定もまたことごとくくつがえされ、まったく想定外のことが起きるのかもしれない。

いずれにしろ、世界は人間の理性による浅はかな想定を超えた部分で形成される。

今回の選挙にしても、脱原発、反TPPには基本的に賛成しても、この不景気でにっちもさっちもいかなくなっている中小企業の経営者や失業者にしてみれば、まず景気をよくしてくれと思うだろうし、ほんとにお金もないし飯もないという深刻な状況なら、原発もTPPもおそらく関係ないかもしれない。小泉以来、経済格差に苦しむ層にしてみれば、格差を作り出す構造そのものをなんとかしてくれと思うだろうし、社会保障などのセーフティネットの見直し・確立の必要性は誰もがわかっている。だからこそ、追米属国に甘んじる民自公ではない第三極に期待するしかないのだが、現に今なんとかしてくれと叫ぶ人々にとっては、そんないつになるかわからない理想より、目の前の景気をよくしろと思うかもしれない。同情するなら金をくれ、だ。だから、第一に経済問題を掲げる自民党に票がいく。

このような書き方をすれば反発する人もいるかもしれない。でも、まわりの人々を見てください。それぞれの状況でやっとこさっとこなんとかしのいでいる人がほとんどだ。もちろん私も例外ではない。そのなかで各人各人いろいろ様々に幸せな状況を創り出す。もちろんなかには、脱原発、反TPP、増税反対などのデモをしたり、集会や勉強会を開いて政治的活動をする人々もいる。あるいは、アセンション、ミロクの世など、いわゆるスピリチュアルな情報に基づいて活動をする人々もいる。

だいたい、「スピリチュアル」ってよく言うが、また「スピ系」とか言ってある種差別的に相手を攻撃したり、場合によっては精神世界系側の人々でも「スピリチュアル」と「リアル」を分けて論じたりしてるが、この世というか世界のことはすべてスピリチュアルだ。当たり前だ。あえて「スピリチュアル」などと言う必要もないのだが、これまで世界を支配してきた物質至上主義に対するアンチとしての位置づけがあったからしょうがない。あげくのはてに「スピリチュアル」も、「オカルト」や「宗教」といった言葉と同じように、思考停止してる人々によって相手を非難するキャッチフレーズになってしまった。「オカルト」はご存じのように「隠されたもの、目に見えないもの」という意味のラテン語だ。オカルティズムはそうした目に見えない世界を探求する学問だ。ただそれだけの話だ。「宗教」だって神聖なもの、超越的なものに対する信仰や、それにまつわるもろもろのことだ。それが、近代科学や近代理性といったある種制限された、あるいは狭隘と言ってもいいが、そうしたシステムに合致しない、もっと言えばその人の頭の理解を超えたことがらに接すると、やれオカルトだ、宗教だ、スピ系だろ?となる。

あれ、なんだっけ。
とにかくいろいろな人々がいて日々の暮らしをしているわけだ。だから脱原発、反TPPその他、これまでアメリカの言いなりになってきた&それで権益を得ていたヤカラの政策に対して「アホ」と言う立場は正しいし、そういった情報を拡散することも正しいし、そういう方向性を示している政党に投票することも正しいと思う。だから私もそうする。でも、かと言って、そうしなかった人を非難することはこれはできない。できないよ。仮に非難したり、無理やり引きずり込んだとしても、ロクなことにならない。それは強制だからだ。私は、これは単に私の性格が悪いだけだという話もあるが、とにかく人から強制されることが大嫌いで、仮に正しいことだとしても嫌だ。強制にはやはり人を支配しようとする意図を感じる。そして人はやはり支配されるのは嫌なのだと思う。でもこれは自信がない。支配されたほうがいいという人もいるのかもしれない。

くどくなるな。
要するに、今回の選挙の結果は、ひょっとしたらこれでようやく日本国民が本格的に自発的に行動を起こす準備が整ってきたということかもしれないと思ったのだ。だって自民の圧勝でしょ? この先なにが起きるかわからない。それこそ想定外のことが起きそうだ。そのとき、それが自民圧勝によるところが大きいならば、何かことの起きた遠因が自民圧勝にあるならば、その事態を招いた日本国民がおそらく「自発的に」ことを起こすと思われるからだ。その事態の深刻さに比例して、日本国民の起こす行動も本格化するだろう。それがどういうことか私などにはわからないが、少なくとも誰もこれまでに予想もしてこなかった「想定外」のことであることは間違いないだろう。それは外国の連中、あるいは日本人にしても考えたことがないことかもしれない。そして、どの程度かはわからないが、その事態に関して、またそれに対する日本人の行動に関して、皆がこりゃダメだ、と思ったところで「グレン」と引っくり返るのかもしれない。そしてそれを引っくり返すのもおそらくわれわれなのだ。

それでもまだ、ソフトランディングするかハードランディングするかは、いまだ決まっていないと感じます。
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日本のルーツ

あっという間に1週間が過ぎた。前回、特急あずさの中で書いたのが土曜日で、それから韓国行ったり、食事(といっても実質飲み会)をともなう打ち合せが立て込んだりでこんなに時間が経ってしまった。時間が加速度的に速くなっているという話も信じたくなってくる。しかも2008年くらいだったかな、絶対的に時間が短くなってきていて、1日も20時間、1年も10カ月だったかになっているとかいう本を読んだことがある。今年はどうなっちゃうんでしょう。1日が12、3時間になってたりして。とにかく速い。マゴマゴしてるとやりたくないことをやってるだけで一日が終わってしまう。皆さん、くだらないことに気を取られていないでハヨしたいことをしましょう。私の場合は酒飲んでオダあげてりゃそれでいいんで、ほぼ毎日幸福を実感しております(二日酔いを除く)。

特急あずさといえば、車内販売のおねえちゃんにコーヒーを頼んだら、プラスティックのフタ付きのカップを渡された。フタに小さな吸い口が付いてて、そこから飲むらしい。チューチュー吸ったらものすごく熱かった。そしてうまくない。速攻でフタをはずしたが、コーヒーとかお茶なんてものは茶わんからススっとまわりの空気と一緒にすすって飲むからいいんであって、あんなしみったれた穴から吸ったってうまいわけがない。しかも直で飲むからヤケドするだろ。空気と一緒に吸うからうまい塩梅で冷めてまずくなる一歩手前の温度で飲むことができる。ラーメンだって蕎麦だって何だってそうだ。ラーメンのスープをストローで飲めますか? 気持ち悪い。まあ、電車が揺れてカップからコーヒーがこぼれてヤケドしないようにってことなのかもしれないが、昔はコーヒーなんかなくて、凸型のビニール容器に入ったお茶を売ってて、小さいフタがそのままカップになった。あれくらいなら、揺れてこぼれてもアチチくらいで済むだろうし、むしろその滑稽さがまわりをなごませて、大丈夫ですか? いや、大丈夫です。…ところでオタクはどちらまで? かなんかで会話が始まり、旅の道中が楽しくなるってもんだ。あのお茶まだ売ってるんだろうか。突然飲みたくなってきたが、どうしようもない。

けど、すするっていうのも日本人独特のもののようだ。欧米にはすする文化がないらしい。食事中にすすることはマナー違反だ。だからかもしれないが、蕎麦とかラーメンをすすって食べることができない。ときどき蕎麦屋で外人が蕎麦食ってるのを見ることがあるが、ちゃんと日本ふうに箸を使おうとしながら、ぎこちないのはしょうがないとして、どうもフォークのような感覚で蕎麦を持ち上げて口の中にわにゃわにゃ入れていく。ズズっとすすれないのだ。私はまだ外人(特に欧米人)が蕎麦とかラーメンをズズっとすすって食べてるのを見たことがない。すするといえば、欧米では鼻をすすることもマナー違反だ。私もパリで顰蹙を買ったことがある。たいしたこともないレストランだったが、パリは寒く、店内に入って、はあ暖ったかいと鼻をすすりながらメニューを見ていたらどうも隣の客に睨まれたらしい。らしいというのは、カミさんにそう言われたからだ。はあ?ダメなの?ってカミさんにいったらダメだと。1コ学んだわけだ。そのくせしばらくしたら、その隣のパリジェンヌだかただのネーチャンだかが思いっきり鼻かみやがった。私は聞こえよがしに、おーおーあれはいいのかよとカミさんに言ったら、鼻をかむのはOKだと。私はわけがわからなくなってワインをガブ飲みするしかなかったという非常にくだらない話がある。とにかく外人はすすることができないらしい。

どうも話がくだらない方向に行くな。この間タクシー乗って四谷駅に急いでたら、運ちゃんがさっきすごかったですよって話しかけてきた。どうしました?って聞いたら、ドアの窓外を指さして、あれです。見ると、東大病院を通り過ぎるところだった。天皇が手術入院する日だったのだ。なんでも私服刑事が50mおきに立って、車を片っ端から止めてトランクを調べてたらしい。不審な人物もバッグの中身をチェックされてたとか。私はああよかったと胸をなで下ろした。私が通りかかったら、まず職質されただろうからだ。急ぐのでって逃げようとすれば捕まってバッグを見られる。私の場合、いろんなものがバッグに入っている。いちいちここでは言わないが、ほんとにいろんなものだ。これは小学生のころからの習性だからしょうがない。だから、ちょっとこちらまで来てくださいって言われて容疑が晴れるまで足止めをくらい、待ち合わせの時間に大幅に遅れ(ただでさえ遅れてたのだ)、先方に言い訳するのはいいが、どうも警察に止められたというのもねえ。タクシーに乗ってよかった。雨も降ってたし。

その天皇の手術も無事に終わったらしいから、まずはよかった。実は昨年からどうも天皇のことが気になっていたのだ。年齢のこともあるが、今日本はいろんな意味で窮地に立たされてるからねえ。天皇といえば、記紀にならって、日本国の天皇としては神武天皇から始まるのが一般的だが、『竹内文書』(たけのうちもんじょ・たけうちもんじょ)や『上記』(うえつふみ)、『先代旧事本紀大成経』(せんだいくじほんぎだいせいきょう・さきつみよのふるごともとつふみおおいなるおしへ)なんかによるととんでもないことが書いてある。神武天皇の前にも数十代、『竹内文書』によれば、鵜草葺不合(うがやふきあえず)朝(約5万年~紀元前661年くらいか)で72代(神武天皇を入れれば73代)、その前の上古代で25代、さらに前の天神代で8代の天皇がいる。天神代なんかだと、天神第一代の天皇は元無極躰主王大御神(もとふみくらいぬしのおおみかみ、別名・天地身一大神)という名で、宇宙創生の天皇だ。第七代の天御光太陽貴王日大光日大神(あめみひかりおおひなかきおうひおおてるひおおかみ)というこれまた舌を噛みそうな絶対覚えられないような名の天皇だと、文明の始まりや暦、方位、時間の制定に絡む天皇で、別名メシヤだ。メシヤって…。

また、『先代旧事~』にある天皇容姿に関する記述には、

神武天皇(初代)
背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。

綏靖天皇(2代)
身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。

孝霊天皇(7代)
生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

崇神天皇(10代)
背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、下は長く鼻にまで届きました。

垂仁天皇(11代)
背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を餅、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

神功天皇(14代)
御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

応神天皇(15代)
背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」という丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。

仁徳天皇(16代)
御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。


なんてことが書いてあるらしいからブっとぶではないか。まるで宇宙人かレプティリアンだ。

もちろん、って言っていいかどうかはわからないが、『竹内文書』も『上記』も『先代旧事本紀大成経』もアカデミズムでは偽書ということになっている。それでも研究者はあとを絶たない。古史古伝に関してはもっともっと研究がなされるべきだろうし、私自身かなり興味がある。古事記や日本書紀の成立過程はかなりあやしい部分もありそうだ。偽書とはいいながら、先の『先代旧事本紀大成経』が元ネタにしたという『先代旧事本紀』のほうは、推古天皇が聖徳太子と蘇我馬子に命じて編ませたということになっていて、神武以前の物部氏(もののべし)にまつわる歴史らしいから、日本国の成立に関わる資料としてちょっとはまともに扱われてるようだ。『竹内文書』にしても武内宿禰(たけのうちのすくね)まで遡る。漢字が伝来する前からある日本の伝統や知識、皇統の歴史などを、時の権力、大陸系の勢力から守ろうとしたことから始まるようだ。彼らに抹殺される前に日本の正当な歴史、伝統、技術を書き遺したということらしい。それが代々、竹内家に伝わった。大和朝廷時代の武内宿禰も明治時代に『竹内文書』を公開した竹内巨麿(きよまろ)も、空を飛んだり、海の上を走ったり、いわゆる神通力を修行によって会得した、役小角(えんのおづぬ)の系統の人みたいだから、そういった類の技術の方法論というかマニュアルのようなものも伝えられているのかもしれない。『日月神示』にしても王仁三郎の『伊都能売神諭』(いづのめしんゆ)にしてもすべては公開されてないし、そのテのものは簡単にディスクロージャーしてはいけない情報も抱えているのだろう。

先の天皇の容姿の記述に関してもそうだが、古代、宇宙から来た生命体によって人類の一部が創られた的な見地から、日本人ひいては世界人類を検証している本はたくさんある。浅川嘉富氏の『シリウス・プレアデス・ムーの流れ 龍蛇族直系の日本人よ! その超潜在パワーのすべてを解き放て』もそうで、先の引用はこの本にもある。本の内容に触れるとまた長くなるのでやめるが、日本人のルーツは龍蛇族ということらしい。レプティリアン。デビッド・アイクやアイクを日本に紹介した太田龍なんかに言わせると、いわゆるレプティリアンは人類を支配しているとんでもないヤツらということになるのだが…。もっと情報を取って検証しなくてはならない。金星人にしたって、金星人は全部悪と決めつけるムキから金星人にも正邪があるといった情報までいろいろあるようだし。だから個人的には、レプティリアンにしても金星人、シリウス、プレアデス、オリオン、グレイにしても、おそらく一枚岩ではないんだろうくらいのところで保留にしている。

そういえば神代文字なんかも不思議なんだよね。古代史は、エジプトだメソポアミヤだ中国だマヤだといったような個別なものじゃなく、みんな連関してるんじゃないかしら。そのへんの秘密も日本にありそうな…

主語がない?

昨日(じゃないな、もうおとといだ)は玉蔵さんやバカボン山田さん、小麦ちゃんたちのパスヘブジョイント嬉し嬉しコンサートだった。どうなっちゃうんだろうといろいろ懸念される中、2012年1月6日、見事、のろし(何の?)をぶち上げてくれました。玉蔵さんパスヘブを始め、関係者みんなの思いの成果だろう。玉蔵さんは、ブログを書いてるときもそうだが、何か自分が書いてる、自分がやっているという気がしないという。なんだかわからないが突き動かされるものがあって、自分はその思いに従っているのだという。そうせずにはいられないのだ。誰もが納得するような、いわゆる世間的に合理的なところではないところに根ざしているようだ。その思いを伝える難しさみたいなものは、玉蔵さんのブログとはうって変わって訥々とした語りからも感じられ、そのぶん思いの深さも伝わっくるようだった。

ヴァジム・ゼランドも自分の本について、この本にあるような内容は決してひとりの個人が思いついたとか、発明したとか、発見したというような類のものではない、と似たようなことをいっている。「自分」といったようなものを超えたところから届いているということだろう。

だいたい、これは自分が、あるいは誰かが最初に作ったとか言ったとか書いたとか、そういうことに過剰に重要性を置くのはなにかエネルギーの使い方を間違っているような気がする。たしかにそういうことで成り立ってきた時代とか世界もあったし、それはそれできっと何か意義があったのだろう。著作権とか、権利関係がそうだが、もう、ちょっと違うんじゃないか。「所有」という概念自体がズレてきている気がする。お金を出したからここからここまでは自分の土地だとか、海で泳いでる魚を大量に獲っていくらですって売るとか、もともと誰のものでもない、それこそ天からでも神からでもいいが、最初から自然にあるものを人間の都合で勝手に売り買いして、やれ環境破壊だ保護だと騒いでいる。今のようなお金のシステムも所有権という概念もなくなれば、自然にあるものはもっと大事に扱われてみんなで共存していく方法を模索するだろう。乱獲したり勝手なことをすればみんなが同じように困るからだ。お金に換えることができるとなれば、人より多く獲ってより多くお金に換えたくもなる。

土地や食べ物だけではなく、人も、たとえば子どもとか奥さんとか旦那も、所有という観点から考えて見ると面白いかもしれない。それこそ家族とは何だ?ということになるからちょっとヘビーか、これは。でも、昔は、東海アマさんが講演でいってるような村の夜這い制度の話を持ち出すまでもなく、普通の町中で遊んでる近所のガキは悪さをすれば普通に他の親からも怒られたし、他の子どもでも見知らぬ大人といれば、そのおじさん誰だい、と普通に警戒されたりして、疑似家族みたいなところがあった。同じ町内とか地域とか、近しいエリア内でのお互いの共存関係意識というか仲間意識があれば、なんとなく共通した利害も生まれるから住民にもそれなりの責任感が生ずる。地域としての仲間意識がなく近所づき合いも希薄であれば、家族至上主義になって自分の家族だけよければいいということにならないか? もちろん自分の家族を優先するだろうが、仲間意識があれば他はどうでもいいというところまではいかないんじゃないかな。

所有ということでいえば、自分と血がつながった子どもだから自分のものなのか? 自分と結婚してるから、あるいはつき合ってるから自分のもの? 子どもだっていくら血がつながってるとはいえ、アル中で生活力のない父親とパチンコ依存症の虐待母のもとで暮らすよりは、子どもができないまともな夫婦に預けられたほうがいいだろう。違うかな。でも昔は普通に養子ってあったし、生みの親より育ての親とか、遠くの親戚より近くの他人とか、血の繋がりはあまりアテになんないよってな言葉もある。

また話がとっちらかるが、とにかく人間でも魚でも土地でもなんでも、あらゆるもの同士が無駄に争わず仲良く和していくには血の繋がりとか所有の概念は邪魔というかいらない気がする。少なくともあまりこだわらないほうがいいのではないか。先の著作権とか知的所有権などもこれからはどんどんなくなっていくと思う。というか主張する人が減るんじゃないかな。放棄するとか。そういうものにこだわることが苦しい、不快だと感じる人が増えてくるような気がする。特許なんかもそうだろう。どれもこれもそれらにまつわるお金を独占できるという権利だから、そういうことが気持ち悪いという感じ。

玉蔵さんのいう自分が書いてるという気がしないというときの「自分」とか、ゼランドがこういうものは個人の考えではあり得ないというときの「個人」とは何なのか。いわゆる「私」というヤツ。近代的自我ということなのかもしれないが、日本人にはもともとそんなものはないという話がある。大澤真幸の『社会は絶えず夢を見ている』によると、もともと日本語には西洋語でいう意味での主語という概念はなかったらしい。西洋語の文は原則的にすべて主語から始まり、しかも主語は名詞で文頭に置かれるが、日本語にはそういう文はなかった。じゃあ日本はいつから西洋語のような主語を使うようになったか。どうも「大日本帝国憲法」あたりかららしい。明治22年だ。

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依り皇男子孫之ヲ継承ス
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス


「~は」が連続しているが、この文は当時の日本人にとっては相当違和感があったはずだという。それまでこのように「~は」で主語が続くような文がなかったからだ。大日本帝国憲法の約20年前の同じような公的な宣言文「五箇条の御誓文」ではどうか。

広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スヘシ
上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ


たった20年前なのに「~は」の文がひとつもない。もっと古い「武家諸法度」(1635年)はどうか。

文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事。
大名小名、在江戸交替、相定むる所なり。毎歳夏四月中、参勤いたすべし。…

もっと古い7世紀の「十七条憲法」。

一に曰く、和を以て貴しと為し、忤うること無きを、宗とせよ。
二に曰く、篤く三宝を敬え。


いずれも「~は」の文はない。なんで明治中期に日本人にはとてつもない違和感をもたらしたはずの「~は」で始まる主語の文が出てきたか。翻訳文だ。大日本帝国憲法はドイツ人法学者が試案を作っている。初代内閣総理大臣の伊藤博文はそのドイツ人から教わったらしい。まあ、明治といえばイギリスに留学してた夏目漱石だって「吾輩は猫である」だからな。つまり主語なんてものは最近西洋から入ってきた概念だということだ。それまでに長い長い間、日本にはそんなものはなかった。よく、主語がない!とか、主語をいえ!とか、得意げにまくしたてるヤツがいるが、お前は外国のスパイかと。日本人はもっとおおらかな自然に溶け込んでるようなところから言葉を発していたのだ。西洋ふうの論理的な文法に則った言葉を話しだしたのはたかだか100年だ。日本人の記憶というか遺伝子には、自分とか個人とかいったいわゆる私的な概念が希薄で、もっと大きな自然というか宇宙的なものと脳だか心だかが奥で繋がっていて、そこを通してなにかを感じたり、衝動が湧いてきたりするんじゃないだろうか。

あまり大げさなことをいうつもりもないし、たしかに主語がないといいたくなるような主体性のないヤツもいるし、日本人の遺伝子とかなんとか、さっきさんざん血の繋がりがどうのこうのといったことと相反するような気もするが、いいたいことはわかってもらえるとおおらかな日本人に甘えることにしよう。しかし相変わらず話がまとまらんな。要するに、理屈であれこれ考えて行動するというよりは、これからは常識的にはありえないようなこととか、はっきりいえば常軌を逸してるといわれるかもしれないようなことでも、自分の奥から湧き出てくる抑え切れないものによって行動する人が増えてくると思うわけです。そういったもののひとつが先の玉蔵さんたちのイベントだったのではないかといいたいのでスた。
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プロフィール

∞酒林∞

Author:∞酒林∞
世の中の皆様こんにちは。
私はただの夢見る酔っぱらい。
夜な夜な昼間にそば屋うなぎ屋ラーメン屋、
飲んで歌って吠えてます。
いつまで続くか酔っぱらい。
帰ってくるのか酔っぱらい。

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