日月神示
|Posted:2012/05/28 20:46|Category : 希望|
結果、またもアルコール漬けの1週間だったわけだが、先週の月曜、のっけから雲行きが怪しかった。先輩と神保町の蕎麦屋で飲んで、そのまま近くの行きつけの小料理屋でオダ上げて、河岸替えようと久々に高円寺の(柳家)紫文さんの店に行ったら(三遊亭)兼好さんの会があったらしく貸し切り。ちょうどハネたところだったし、女将さんに誘われてそのまま入ってまた飲んだ。こっちはふたりとも大トラで、柳朝(もちろんセンの)が好きだ金馬(もちろん三代目の)が好きだと吠えてたら、紫文&兼好がノッてきた。何でも紫文さんは柳朝の親戚だとか。また兼好さんからも、柳朝を最後に見とったのは九蔵だというエピソードを。九蔵って三遊亭好楽ね、笑点の。先輩は気に食わない噺家に対しては二つ目とかヘタすりゃ前座名で呼ぶんだよ、これが。正蔵なんか一生こぶ平って呼ぶとか言ってるもんな。でも兼好さんは好楽さんの弟子でしょ? その師匠のことを兼好さんに面と向かって、あの九蔵が!、はないよなとさすがの私も酔った頭で思った。考えてみれば酒場でもめたときは必ず先輩がいる。まあそれはともかく、晩年の柳朝の面倒は弟子の正朝さんが見てたから、ホントかよ?という先輩の気持ちもわかるっちゃあわかるが。おふたりの師匠にはあいすみませんでした。またお店行きます。
ハナからこれじゃ先が思いやられると思ってたら、案の定の飲み会続き。引き寄せるのかね? なんかの法則で。さあ、気をとりなおしてブログを更新するゾと意気込んで臨んだ土曜日の夕方、数行前の、なんかの法則で、っていうところまで書いて、またのこのこ出かけたのが運のツキ。また飲んでしまった。気がついたらベッドにへばりついて別の世界へ。日曜が消えた。酒の悪いところは楽しすぎることだって昔、山口瞳が書いてたが、そもそもそのエッセイ集のタイトルは『酒呑みの自己弁護』ってんだから語るに落ちてるわな。酒はたしかに楽しいが、ゼランドによればそれはエネルギーの借金だし。「人はアルコールを飲むことで、エネルギーを借りる。アルコールによる陶酔は借金することであり、二日酔い症状は利子をつけて借金を返済することである。いつも返済するときのほうが多くなる」。ゼランドさん、あなたの言うことはいつも正しい。借金地獄に陥らないように気をつけます。
前回の記事のコメントさんから『日月神示』に関する質問もあったのでちょっと触れときます。
『日月神示』は知ってる人は知ってるように(当たり前だが)、昭和19年に千葉の天之日津久(あめのひつく)神社で岡本天明に降りた。岡本天明は出口王仁三郎の大本にいた人だ。そのへんの詳細は本でもネットでもいくらでもある。で、『日月神示』の神は艮の金神(うしとらのこんじん)=国常立大神(くにとこたちのおおかみ)といわれる。この神はどえらい神様で、太古にこの地球がまだ泥の海だったころ地上を修理固成(つくりかため)した最高神だった。でもちょっと厳格すぎたのか、ほかの悪神たちがのさばってくるとよってたかって世界の丑寅(東北)=日本に押し込められた。以来、丑寅の方角は鬼門とされる。ちなみに国常立大神の相方の神は豊雲野大神(とよくもぬのおおかみ)で、彼女?は坤(ひつじさる)の金神として未申(西南)の方角=裏鬼門に押し込められた。大本によれば日本は世界の雛型なので、日本で起きたことは世界で起きる。昨年の東北大震災は、いよいよ艮の金神様=国常立大神が動き出したと言わるのもゆえあってのことだ。
正神の国常立大神を日本に封じ込めた悪神たちは、世界を我善しの世にしてやりたい放題してきたが、とうとう日本にもやってきた。神示によれば、神の国・日本は悪神により5回の「天の岩戸閉め」が行なわれた。1回目はイザナギ・イザナミのとき、2回目は天照大神のとき、3回目はスサナルノオオカミのとき、4回目は神武天皇のとき、5回目は仏教(仏魔)渡来のとき。いい加減にしろ、このままじゃ日本は、いや世界は滅びるってんで、国常立大神が世の立て替え・立て直しをするというのが『日月神示』で言われてることだ。世界はこれまで6回滅亡の危機があったらしく、今度のはこれまでにない、根本からの大掃除、「世は七度の大変わり」というわけだ。
『日月神示』もいきなり降りたというより、江戸時代末期から『黒住(くろずみ)』『天理』『金光(こんこう)』『大本』と、どうも国常立大神と同じかもしくは近い神様の神示がすでに降りてきていた。でも、神示が降ろされた黒住宗忠や中山みきといった人たちが亡くなると、あとに残った者たちの方向性がおかしくなり、神示が滞る。大本にも降りたが、内部分裂し始めると、最終的に岡本天明に降りた。
でも、神示が降りはじめたのが、江戸末期から明治、日月神示も昭和19年。なんか明治維新や太平洋戦争の時期というのも感じるものがあるね。
『日月神示』のすごいところはいわゆる予言ではないということだ。予言は、「ヨハネの黙示録」にしろ「ノストラダムスの大予言」にしろ「ファティマの予言」、エドガー・ケイシーその他、近現代の予言者たちのものは、未来予想というか未来幻視、こういう場面を見た的なことが多い。でも『日月神示』は、自分(国常立大神)がこうするゾという宣言というか、実行者の弁であるというようなところがほかと違う。このままじゃ、大天変地異でも起こして、私が世界の立て替え・立て直しを実行しなくちゃいけないんだから、もうそこまで来ちゃってるんだから、ハヨ身魂(みたま)を掃除セイ!と。
ここなんです。
『日月神示』はいわゆる予言ではないのではないかということですね。たとえ予言めいてるとしても、決定したことではない、と。だって、国常立大神は、戦争も将棋くらいにできる、って言ってんだから。そして、
(略)この度の岩戸開きは人民使うて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用ぞ、いつでも神憑(か)かれるように、いつも神憑かっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組いよいよとなったぞ。(「雨の巻」第一帖三三五)
(略)人民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言(こと)分けて申しているのざぞ(略)(同第十六帖三五○)
といったように、国常立大神は、世の中をまた泥の海に戻してやり直すのは簡単だけれど、それじゃ人民がかわいそうなから、早く改心して自分たちで良い世の中にしてくれと。人間が自分で身魂を磨いて改心しなければ神もどうしようできない。憑かることができない。人間が身魂を磨いて、はじめて神と一緒に御用ができる。だから、早くしてくれと。もう待てないゾといったことなのではないか。本当に人間が必要ないなら、警告もなにもせずいきなり泥の海にしちゃうよ。それが本当に地球、宇宙のためになるなら。きっとそうではないから、まだ救い、希望があるから、要するにまだ捨てたもんじゃないから、くどいくらいに神示に降りてきてるのではないか。甘いかしら。
でも、こういうものは予言じゃないよね。なんと言えばいいか、親がかわいい子に説教してるような…。
誰にでも、いや生物に限らず、この世にあるものにはすべて神の一部が宿っている、というのは多くのスピリチュアリストが言うところだ。ゼランドも言ってる。世の中を変える、我善しの世界を変えるのは、自分の中にある神の一部を発動するしかない。それには身魂を磨くしかない。でも、もう世の中ここまでおかしくなっているから、時間がない。このままだと一部の人間を残して、あとは大掃除するしかないということなのだろう。だから、悲痛なまでに『日月神示』の神様は訴える(語弊があるかもしれないが)。
ということは、我々の日々の生活、生き方しだいでは天変地異は来なくてもすむ。戦争も将棋くらいですむ。少なくともその可能性はある。ということだ。じゃあ、具体的にどうすりゃいいんだ?って言われると、私なんぞにはわからないし、ただの酔っぱらいだから真っ先に掃除されそうだが、『日月神示』の中には多くの真実があるように思う。
ちなみに私は日本弥栄の会版の『完訳 日月神示』を読んでいる。ガイド本としては中矢伸一氏の『「魂の叡智」日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』がいいと思う。そうそう、私は、中矢伸一氏に会ってるんだよね。1980の終わりか1990年のはじめころ。ご本人はとっくに忘れてるだろうけど。そのときは『日月神示』の読み方もわからなかった。ニチゲツシンシって何だろうみたいな。
ところで、バカボン山田さんは今スゴイところに来てるみたいだ。ふぐり玉蔵さんの疎開村もそうだけど、これからはますます魂に則って生きてます的な人たちが増えそうだ。
言霊?に関連して、前々から気になってることがあって、ブログでも記事にするすると言っていまだ書いてないが、今度書いてみます。例の世界で鳴ってる大音響のことね。あと一部で話題になってる528Hzという周波数。私にはまだよくわからないが、よく検証しなくちゃならないみたいだ。
今週もまたヘヴィな一週間になりそうだなあ。
飲まなきゃいいじゃん!
ハイその通りです。
ハナからこれじゃ先が思いやられると思ってたら、案の定の飲み会続き。引き寄せるのかね? なんかの法則で。さあ、気をとりなおしてブログを更新するゾと意気込んで臨んだ土曜日の夕方、数行前の、なんかの法則で、っていうところまで書いて、またのこのこ出かけたのが運のツキ。また飲んでしまった。気がついたらベッドにへばりついて別の世界へ。日曜が消えた。酒の悪いところは楽しすぎることだって昔、山口瞳が書いてたが、そもそもそのエッセイ集のタイトルは『酒呑みの自己弁護』ってんだから語るに落ちてるわな。酒はたしかに楽しいが、ゼランドによればそれはエネルギーの借金だし。「人はアルコールを飲むことで、エネルギーを借りる。アルコールによる陶酔は借金することであり、二日酔い症状は利子をつけて借金を返済することである。いつも返済するときのほうが多くなる」。ゼランドさん、あなたの言うことはいつも正しい。借金地獄に陥らないように気をつけます。
前回の記事のコメントさんから『日月神示』に関する質問もあったのでちょっと触れときます。
『日月神示』は知ってる人は知ってるように(当たり前だが)、昭和19年に千葉の天之日津久(あめのひつく)神社で岡本天明に降りた。岡本天明は出口王仁三郎の大本にいた人だ。そのへんの詳細は本でもネットでもいくらでもある。で、『日月神示』の神は艮の金神(うしとらのこんじん)=国常立大神(くにとこたちのおおかみ)といわれる。この神はどえらい神様で、太古にこの地球がまだ泥の海だったころ地上を修理固成(つくりかため)した最高神だった。でもちょっと厳格すぎたのか、ほかの悪神たちがのさばってくるとよってたかって世界の丑寅(東北)=日本に押し込められた。以来、丑寅の方角は鬼門とされる。ちなみに国常立大神の相方の神は豊雲野大神(とよくもぬのおおかみ)で、彼女?は坤(ひつじさる)の金神として未申(西南)の方角=裏鬼門に押し込められた。大本によれば日本は世界の雛型なので、日本で起きたことは世界で起きる。昨年の東北大震災は、いよいよ艮の金神様=国常立大神が動き出したと言わるのもゆえあってのことだ。
正神の国常立大神を日本に封じ込めた悪神たちは、世界を我善しの世にしてやりたい放題してきたが、とうとう日本にもやってきた。神示によれば、神の国・日本は悪神により5回の「天の岩戸閉め」が行なわれた。1回目はイザナギ・イザナミのとき、2回目は天照大神のとき、3回目はスサナルノオオカミのとき、4回目は神武天皇のとき、5回目は仏教(仏魔)渡来のとき。いい加減にしろ、このままじゃ日本は、いや世界は滅びるってんで、国常立大神が世の立て替え・立て直しをするというのが『日月神示』で言われてることだ。世界はこれまで6回滅亡の危機があったらしく、今度のはこれまでにない、根本からの大掃除、「世は七度の大変わり」というわけだ。
『日月神示』もいきなり降りたというより、江戸時代末期から『黒住(くろずみ)』『天理』『金光(こんこう)』『大本』と、どうも国常立大神と同じかもしくは近い神様の神示がすでに降りてきていた。でも、神示が降ろされた黒住宗忠や中山みきといった人たちが亡くなると、あとに残った者たちの方向性がおかしくなり、神示が滞る。大本にも降りたが、内部分裂し始めると、最終的に岡本天明に降りた。
でも、神示が降りはじめたのが、江戸末期から明治、日月神示も昭和19年。なんか明治維新や太平洋戦争の時期というのも感じるものがあるね。
『日月神示』のすごいところはいわゆる予言ではないということだ。予言は、「ヨハネの黙示録」にしろ「ノストラダムスの大予言」にしろ「ファティマの予言」、エドガー・ケイシーその他、近現代の予言者たちのものは、未来予想というか未来幻視、こういう場面を見た的なことが多い。でも『日月神示』は、自分(国常立大神)がこうするゾという宣言というか、実行者の弁であるというようなところがほかと違う。このままじゃ、大天変地異でも起こして、私が世界の立て替え・立て直しを実行しなくちゃいけないんだから、もうそこまで来ちゃってるんだから、ハヨ身魂(みたま)を掃除セイ!と。
ここなんです。
『日月神示』はいわゆる予言ではないのではないかということですね。たとえ予言めいてるとしても、決定したことではない、と。だって、国常立大神は、戦争も将棋くらいにできる、って言ってんだから。そして、
(略)この度の岩戸開きは人民使うて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用ぞ、いつでも神憑(か)かれるように、いつも神憑かっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組いよいよとなったぞ。(「雨の巻」第一帖三三五)
(略)人民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言(こと)分けて申しているのざぞ(略)(同第十六帖三五○)
といったように、国常立大神は、世の中をまた泥の海に戻してやり直すのは簡単だけれど、それじゃ人民がかわいそうなから、早く改心して自分たちで良い世の中にしてくれと。人間が自分で身魂を磨いて改心しなければ神もどうしようできない。憑かることができない。人間が身魂を磨いて、はじめて神と一緒に御用ができる。だから、早くしてくれと。もう待てないゾといったことなのではないか。本当に人間が必要ないなら、警告もなにもせずいきなり泥の海にしちゃうよ。それが本当に地球、宇宙のためになるなら。きっとそうではないから、まだ救い、希望があるから、要するにまだ捨てたもんじゃないから、くどいくらいに神示に降りてきてるのではないか。甘いかしら。
でも、こういうものは予言じゃないよね。なんと言えばいいか、親がかわいい子に説教してるような…。
誰にでも、いや生物に限らず、この世にあるものにはすべて神の一部が宿っている、というのは多くのスピリチュアリストが言うところだ。ゼランドも言ってる。世の中を変える、我善しの世界を変えるのは、自分の中にある神の一部を発動するしかない。それには身魂を磨くしかない。でも、もう世の中ここまでおかしくなっているから、時間がない。このままだと一部の人間を残して、あとは大掃除するしかないということなのだろう。だから、悲痛なまでに『日月神示』の神様は訴える(語弊があるかもしれないが)。
ということは、我々の日々の生活、生き方しだいでは天変地異は来なくてもすむ。戦争も将棋くらいですむ。少なくともその可能性はある。ということだ。じゃあ、具体的にどうすりゃいいんだ?って言われると、私なんぞにはわからないし、ただの酔っぱらいだから真っ先に掃除されそうだが、『日月神示』の中には多くの真実があるように思う。
ちなみに私は日本弥栄の会版の『完訳 日月神示』を読んでいる。ガイド本としては中矢伸一氏の『「魂の叡智」日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』がいいと思う。そうそう、私は、中矢伸一氏に会ってるんだよね。1980の終わりか1990年のはじめころ。ご本人はとっくに忘れてるだろうけど。そのときは『日月神示』の読み方もわからなかった。ニチゲツシンシって何だろうみたいな。
ところで、バカボン山田さんは今スゴイところに来てるみたいだ。ふぐり玉蔵さんの疎開村もそうだけど、これからはますます魂に則って生きてます的な人たちが増えそうだ。
言霊?に関連して、前々から気になってることがあって、ブログでも記事にするすると言っていまだ書いてないが、今度書いてみます。例の世界で鳴ってる大音響のことね。あと一部で話題になってる528Hzという周波数。私にはまだよくわからないが、よく検証しなくちゃならないみたいだ。
今週もまたヘヴィな一週間になりそうだなあ。
飲まなきゃいいじゃん!
ハイその通りです。
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