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シャイニング?

♪月ヨープル、火ヨープル、水ヨープル、木ヨープル、ヨープルヨープルヨープルヨープル、わったーしヨープルキチガイよ!♪ってCMソング覚えている人は絶対60年代かそれ以前の生まれの人です。ヨープルってのは今で言うところの飲むヨーグルトみたいなもんだ。ガキのころはやった。最後のキチガイよ!というところが歌いたくてみんな歌ってた。が、ある日消えた。そりゃそうだわな。

月曜一日会社へ行って、火曜日夜更けに九連宝燈、水曜ひと晩小説書いて、木曜3時の四間飛車、金曜、日暮れに庭木をいじり、土曜日たそがれ馬券の吹雪、日曜朝から愛妻家、月々火水木金々、酒を呑みますサケなくて、何で己れが桜かな。

ってのもあったが、あれは山口瞳『酒呑みの自己弁護』の帯にあったコピーだ。高校のころ私はこの本をバイブルのようにしていて、酒呑みのウンチクを粋がって話してた。そのひとつに二日酔いの話があって、升田幸三だか井伏鱒二だかもう忘れたが、二日酔いのときはどうするかって聞かれて、ぬるい風呂に浸かってだんだんと熱くしていく、すると酒が抜けていくと。センセイ、その後どうすんですか?と聞くと、なんでこいつはそんなことを聞くんだ?というような顔をして、また飲むんだよ、と答えた。

シビレたね。

いや、すみません。なんだかんだ飲んでばっかりいたら、こんな時間が経ってしまった。毎回毎回飽きもせずよく同じことばっかり言えるなと自分でもほとほと愛想が尽きる。馬鹿は死ななきゃ治らないって言うが、ホントだね。でも、毎日毎日同じこと言うカミさんも気の毒っちゃあ気の毒だ。昨晩なんか、小学生のころの娘が夢に出てきて、お父さんホントはもう長くないんでしょ、と涙ぐんでたもんな。さすがの私もほろっときて、誰がそんなこと言ってんだ? 大丈夫だよ、と抱きしめるんだからどんな安手のドラマだ。

でも夢から覚めてからふと思い出したのは、先日の夜、部屋で本読んでたら居間からカミさんと娘の話し声がとぎれとぎれに聞こえてきて、娘が、お父さんが死んだら家のローンはなくなるんでしょ、と言ったのだ。なんだあ、あいつら何たくらんでんだあとマヌケな顔して私は大人っぽくひとり苦笑して見せたが、待てよ、と思い、後日、私とカミさんとカミさんの親しい友人(女性)と酒を飲んでるとき、その友人に、俺は主義と言うかポリシーというか趣味というか、とにかく自殺というのは絶対にしないから、もし俺が突然死んだら、それはおそらく他殺だろうから、よろしく、とくに○○(カミさんの名)をまず疑ってくれ、と頼んだのだが、その友人は、んーと3秒くらい考えてから、そんときはたとえ真実はどうであれ、私は○○ちゃん(カミさんの名)の味方になるしかないわねえ、とすまなそうに言った。

私は家に帰ってから、こりゃダメだと思い、カミさんに、○○ちゃん(先のカミさんの友人)もアテになりそうもないから、○○(私とカミさんの共通の男の友人)に同じことを頼んでおくから、と言うと、カミさんも3秒ほど考えてから、○○くんも可哀そうに、アンタ、あまり他人を巻き込まないほうがいいわよ、と能面のような顔で言ったのだ。こりゃ最後は息子に託すしかないと思ったが、あんな2次元の女にしか興味を持っていないような次元の低いヤツはもっとアテにならないだろうとあきらめた。

となると、娘が可愛いさかりの小学生のころの姿で私の夢にまで出てくるというのは、これは何かある。しかも、もう長くないんでしょなどと洗脳というか暗示めいたことまで囁く。うーむ。私はうなったね。想念戦争はもうすでに始まっているのだ。しかも身近なところから。とは言え、仮にカミさんのたくらみがうまくいったとしても、カミさんは自分のしたことの後始末を必ずつけざるをえなくなる。それは一応縁あって連れ添った身としてはほうってはおけない。迷える子羊を救ってやらねば。

でも待てよ、と私はまた思う。果たして彼女は迷っているだろうか。迷うような女か? おそらく罪悪感すら抱かないのではないだろうか。昔、弘兼憲史がどこかで書いていた。政治家の賄賂問題で世の中が騒いでいたころだ。妻の柴門ふみが、賄賂でぎゃあぎゃあ騒いでるのを見て不思議だと言ってたと。自分がしてほしいことをしてくれるだけの力を持ってる人間がいて、その人間が自分のしてほしいことをしてくれたら、それだけのお礼をあげるのは当り前だ。その人間だって、その人のしてほしいことをしてあげるだけの力なり立場を持っているんだからこそできるんであって、その見返りをもらうのは当たり前だ。私だったら袖の下だろうがなんだろうが当たり前にもらうし、罪悪感などこれっぽちも感じない、というようなことを言ったらしい。

それを聞いて弘兼は、こりゃ女が政治家になったら大変だと思ったとかなんとか、そんなエッセイだったと思う。私は弘兼って漫画家の作品は知ってはいるが読んだことはないから、そのときは特になんとも思わなかったが、今になって弘兼の気持ちがよくわかる気がする。

女というのは空恐ろしいわな。男同士ならまだ論理的に話せるもんな。ああそうか、お前の言うほうが正しくて俺は間違っていたとか、決着がつく場合が多い。逆に、論理的な破たんを指摘されて、納得できずにヒステリーを起こす男は、ただのガキか、女々しいヤツと相場は決まってる。でも、男でも、社会的な理屈で正しいことがらであっても、義理だ人情だの諸事情で筋が通らない場合は問答無用に行動に出ることがあり、その場合もだいたいにおいて行動に出るヤツの言い分のほうが正しいことが多い。花田秀次郎みたいに。

そういえば三島由紀夫は、女が男に一生勝てないものがふたつあると言った。それは知性と筋肉だと。

でもミシマさん、最近なんだかそのご高説もあやしくなってきました。知性とか筋肉が輝いていた時代とは様子が変わったようです。

なんの話だまったく。

ほらもう時間がない。本当はプラトンの話をしようとたくらんでいたのに、くだらないマクラからまたわけがわからなくなってしまった。久しぶりのブログでこれか。このあと時間あれば、なくても早めに、プラトンのっけよう。「魂」についての話です。

せっかくだから、女、スピリチュアル、想念の戦い、っていう3題噺で、トリシュ・ジェーンシュッツの『霊能者狩り』を貼っておく。無理やりっぽいが。これも女の作家によるちょっと不気味なSFサイコミステリー。テレキネシスだ、クレアボイヤンスだ、サイキックのてんこもり。でも、この小説の内容は今になって現実味を帯びてくる……
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鏡の法則

いやあ、なかなか仕事がフィニッシュしない。とは言っても、月曜には終わる。はずだ。ここ1、2週間仕事が集中し、疲労が溜まっていたように感じていたが、この間よく考えてみたら半分以上は飲み疲れということが発覚して愕然としたが、こう暑くちゃムリもない。どうムリがないんだかまったく理屈がわからないというか、いちいち考えるのも面倒くさくなるくらい暑い。したら生ビールでも飲んで体冷やして頭冷やしたほうがいいに決まってる。ロクな仕事できないって、この時期。

と言っても、ひところに比べりゃあずいぶんマシだが、それでも道行く人たちを見てると一様にしかめっつらしてたり、不機嫌そうだから、いよう、オトモダチ!ビールでも飲み行こ、と声をかけたくなる。でも実際は、お?いいねえ、と言ってくれる連中とだけ行くことになるのは、前に声をかけて頭がおかしいヤツに思われて気味悪がられたことがあるからだ。情けな。

私は高校のときから基本的にはそのテのダメさかげんだったので、会社員になってけっこう苦労したが、嬉しいことに似たようなヤツが必ずいるものだ。で、だいたいにおいてそいつらのほうが仕事ができる。当たり前だ。とっとと仕事を終わらせて早く飲みに行きたいし、実績がないとそんな態度は組織では許されないから、必然的に仕事ができることになる。でもそうは甘くなくて、会社によっては相当の実績をあげるヤツでも酒ばっかり飲んでれば追い出される場合がある。規律を乱すってヤツだ。実績よりも、つまり会社の利益よりも組織の規律のほうが大事なわけだ。ヘタすりゃ、酒じゃなくて、既存路線をはずれる大胆な企画や言動を発するだけで排除される。そんな例はくさるほどある。出る杭は打たれるってことだ。

でもこれは管理者というか支配者側から見た論理だ。組織のトップの懐が深いというか賢ければ、そんなことはないが、だいたい中途半端な権力を手中にしたヤツらがこうした排除をする。自分たちの立場が脅かされるからだ。本末転倒というか、会社の利益追求が企業の使命であるはずなのに、おのれの保身にだけ執着し、本来同じ釜の飯を食ってるはずの仲間を敵視する。こういう会社はいずれおかしくなる。今の官僚あたりが典型か。同じ日本人だろうに。違うのかな。まずいのは、官僚の場合は会社が潰れる程度じゃすまないということだ。政治家に関してはもはやギャグですらないから言うことはない。

まずい、話がつまらん方向にきた。

久々にゼランドにご登場願おう。

 全体としては、個々のリアリティの様相は、その人を取り巻いているあらゆるものとの関係においてどのような感情を持っているかにかかっている。しかし、同時に、その人の気分というのは、周囲で起きていることによって制約を受けるものである。リアリティは人の思考の形(イメージ)が反映されたものとしてかたちづけられるが、では、その形(イメージ)はというと、反映そのものによって決まってくる、というようにフィードバックが延々と繰り返される罠に陥ってしまう。(略)

 通常、ネガティブな感情は完全にその人の注意を奪ってしまう。人は、困っていることを案じる。人は欲しないことについて思いを巡らせる。こんなふうに逆説的なのだ。しかし、鏡は、人が望むものか望まないかを斟酌せず、ただ形(イメージ)の中身を正確にきちんと伝達しようとする。
 
 そうなると、きわめて馬鹿げた状況になってくる。人は受け入れられないものを常に引きずっているわけだ。「口は災いのもと」ではなく、「思考は災いのもと」なのである。馬鹿げているように聞こえるかもしれないが、実際はまさにこのとおりなのだ。

 人が何かを憎んでいるとき、どんなことが起きているのだろうか。その人はその感情に魂と理性の一体化したものを注ぎ込んでいる。明確な形(イメージ)は非の打ちどころなく鏡に反映されて、世界の層全体を満たす。憎んだものを自分の人生においてたっぷりと受け取ることになる。その結果、本人は一層腹立たしくなり、それによって自分の感情はさらに強まる。

 同様のやり方で、非難の対象は「非難する者」の層に押し入ってくる。典型的な例をイメージ願いたい。怒りを顕(あらわ)にした中年女性が非難を込めた眼差しで世界全体を眺めている。彼女自身が、「人々と法の良心の前における」厳格で絶対的に正しい法の裁きの権化となっている。自分以外のすべての世界は、彼女の気に入らないことに対して責任を負うべきだと思っている。鏡に映しだされる光景はきわめて具体的で明らかなものとなってくる。このように強いうぬぼれをもって鏡を覗く人は、自分の周りにそれと等しい現実、すなわち、やむことのない不当な現実を作り出す。世界としてはそうする以外に反応しようがない。世界は彼女を非難しているわけではなく、自分が正しいとも思っていない。世界は、その本質によって、世界についてイメージされるとおりの姿になるのだ。
 
 何かへの不同意の場合も同じことが起こっている。たとえば、もし女性がアルコール摂取にきわめて否定的な態度を取るのなら、彼女は至るところでそのような場面と遭遇するよう運命づけられることになる。彼女は飲酒にまつわる様々な出来事に常に悩まされる。それには彼女自身がアルコール依存症の男性と結婚するということまで含まれている。妻が飲酒に対して示す不快感が強ければ強いほど、夫はもっと大酒を飲むようになる。時々、夫は飲酒と縁を切ろうとするかもしれない。だが、妻が飲酒をとても強く憎んでいることから、自分の憎悪を文字通り噛みしめつつ、「あんたは飲むことをやめやしないだろうさ!」と怒りに駆られながら自分の思いを繰り返している。そして、もし夫に固い意図がなければ、飲酒を許せない気持ちにどっぷり浸った妻は、自分の思考イメージを夫の世界の層に実際に持ち込むこともあり得るのだ。

 悲観的なことを予想する傾向は、傍から見ていても、見ばえのするものではない。「どうせどうにもならないさ!」というタイプの気分はサドマゾ的である。悲観論者は、「世界の悪化はここに極まれりだ。どうせ俺も奴も一蓮托生さ!」という辛い定めを堪能しつつ、倒錯した喜びを得る。悲観的なことに喜びを見いだすこうした病的な習慣は、侮辱を受け入れる素地とともに、ひどくなっていく。「僕はこんなに素晴らしい! でも、君は認めてくれない! 奴は不公正きわまりない! もういい、僕は怒っているんだ、なだめようったってそうはいくものか! ええい、死んでやる、そうすればわかるだろ!(酒林注:ここで言う、「君」「奴」は「世界」のこと)」そして、結局どうなるだろうか。鏡にただ反映されるだけではなく、避けがたい不幸の光景がしっかりと強調されるのだ。腹を立てている者は自分で不運なシナリオを注文し、その後、「ほら、だから言ったじゃないか!」と勝ち誇る。ところで、鏡のほうはというと「承知しました!」と返事して、ただ注文を執行しているだけのことなのだ。(略)

(略)度しがたい大ばか者のために教科書に載せてもよいくらいの「黄金の」法則がひとつある。それは「もし私が自分を気に入らなければ、私は自分を気に入らない」ということだ。この同語反復(トートロジー)には、それがどんなに意外に思われようと、大半の人々が行動指針とする原則が含まれている。
 たとえば、容姿を例に取りあげてみよう。ほとんどすべての子供たちはとても愛嬌がある。では、自分の容姿に不満を持つたくさんの大人たちは、いったいどこから出てきたのだろうか。すべては、あらゆる不満をこちらに投げ返してくれるあの鏡からだ。自分に見とれる傾向のある者たちは美しく育っていくが、まさしくここに秘密がある。彼らは、「もし自分で自分を気に入っていると、気に入る理由がますますたくさん現れる」という決まりに従っているのだ。

 形(イメージ)が自分の反映に対して「なんだか私は太ったわ。痩せなくちゃ!」と言うと、まったく話が違ってくる。鏡はそれに対して無表情にこう返事をする。「ええ、あなたは太っていますから。痩せなくてはなりません」。あるいは、イメージが自分の反映に、「なんだか私は痩せちゃったわ。もう少し食べなきゃ!」と言う。すると鏡は「はい、あなたは発育不良に見えます。もっとたくさん食べなくてはなりません」と答える。リアリティは、聞いたことを請け合いながら、こだまのように応答する。


ちょっと引用が長すぎたか。鏡の法則の一部だ。要するに、世界はというか現実でもいいが、自分の世界・現実に対する態度を反映させるのだ。でも気をつけなくてはならないのは、世界は態度の中身だけを確認するということだ。つまり、人があることを痛烈に避けたいと思っているとすると、その避けたいもの・現象が明確に対象化されるため、世界はその対象化されたものをたんたんと現出させる。だから、ネガティブなことは考えてはいけないというか明確にイメージしないほうがいい。実現したい望ましいことだけをしつこくイメージする。

まあ、このあたりの対処法に関しては、ゼランドはかなり詳細な解説をしているので、また紹介します。

ネガティブなことをイメージしない、感知しないっても、なかなか難しい。いろいろな障壁になるのは「恐怖」とか「不安」なのだが、これも避けることはほとんど不可能だ。どうするか? 思いっきり不安になればいいし、恐怖すればいい。そしてなんでもいいから行動を起こす。場合によっては、恐怖や不安の対象や内容とまったく関係のない行動でもいい。基本的に恐怖とか不安は強烈なエネルギー消費を伴うから、どんどん生体エネルギーが奪われて弱っていくのだが、なんでもいいから「行動」することで、恐怖とか不安に奪われていたエネルギーを行動にまわすことによって、そのぶん恐怖や不安に使っていたエネルギーが減る。要するに恐怖や不安がやわらぐ。だから、なんか怖い目にあったときギャーギャー大声を出して走り回るとか、不安に取り憑かれたときにいきなり10キロのジョギングに出かけるとか、そういうことだろう。

でも恐怖や不安という感情は持たないようにするのが一番いいのだから、そして感情はものごとに対する自分の態度の結果生じるものだから、いろいろなものごとに対する自分の態度を変えれば感情も変わる。感情は抑えることはないというかできないし、押し殺して内面で煮えたぎってるのは最悪だから、態度のほうを変えてみればいい。そしてそれはわりと簡単にできる。

あとは、恐怖や不安の対象に関するオルタナティブを持っておく。第三の道ですな。天変地異でも失業でもなんでもいいが、不安で恐怖を感じるものがあれば、それについて何も考えないでいられればいいのだが、これだけ情報があればそうもいかない。だから、起きた場合の対象法をあらかじめ考えておく。もしそうなったら、こうしようということだ。天変地異であれば、食料の備蓄、防災グッズの用意、避難ルートの確認とか、失業であれば、転職先の確保、副業など、ふだんから予防というかオルタナティブをリサーチしておく。要は、恐怖や不安にとらわれてはいけないということだ。それは誰かさんの思うツボなのだ。誰かさん? 彼らはもちろん人間ではない。また、動物でもない。妖怪人間でも宇宙人でもない。

それでもとらわれたら、思う存分、恐怖し、不安になればいいのだが、大事なことはそういう自分を許すことだ。とゼランドは言う。そして、なるたけ行動に転換していく。そして生体エネルギーを意図にもっていく。ゼランドの言う「意図」という言葉もある種特別な言葉だ。難しい。リアリティを創造する、自分の思う通りの現実を現出させるのは意図だ。願望でも行動でもない。

たとえば、頭がかゆいとしよう。まず、私は頭を掻きたいという願望を持つ。願望は頭を掻くという現実を現出させることができるか? できない。だって、私は頭を掻きたいという願望があるだけでは、何も起こらない。一生頭を掻きたがってればってなもんだ。では、腕を動かして、つまり行動を起こせば頭を掻けるか。これはいかにも掻けそうだ。行動が現実を現出せしめたと言えそうな気もする。しかし、最終的に頭を掻くという現実を現出せしめるのは意図なのだ。意図がなければなにも起こらない。頭がかゆい、頭を掻きたい、頭を掻こう、で意図して本当に頭を掻く。

うーむ。説明がうまくないな。自分でも完全に消化されてないからか。

何が言いたいかというと、なにか自分の望むことがあるとして、それを実現するのは、意図だということだ。願望は絶対に叶わない。願望である時点で実現されてないことに対する永遠の欲望が前提されている。意図とは、郵便受けに新聞を取りに行くような調子で、自分の望みを掴むことだ。要するになんの疑問もなくただ受け取れることを知っている状態。そしてそれは本当にそうなるのだ。

先の引用の中に、自分の気に食わない部分に意識を集中して鏡を見ていればますます自体は悪化するってのがあったが、これも本当だ。やり方によっては、逆に気になっていたホクロでさえ消すことができるのだ。

私は実は、容姿のこととはまったく関係がないが、ゼランド系の理論はウソだろうってことでちょっと実験したことがあって、それはものの見事に実現したことがある。たいした話ではないが今度書いてみる。

またとっちらかってきて収集がつかなくなりそうだ。落語的にホンチャンの演題でもあればいいのだが、私の場合くだらないまくらがあっちゃこっちゃいきながら延々に続くようなものだから、延々に続けることができるかわりに中身がない。

あ、世界は中身を確認するだけだからこれでいいのか。要するに私には中身がないということで。

雨があがったから飲みに出ます。

フライングダッチマン

おぅっと、早い更新だ。ケツに火が点いた仕事を飯も食わずに一段落させて、やっと中華屋へ。カレー焼きそばでビールをたらふく飲み、なんだかんだで地元の飲み屋へ。またこのマスターが熱いというかなんて言うか、まあ、よく行く店なのだが、私が泡盛を注文するといきなり妙な曲をかけた。なぬ?これ誰?と聞くと、なんとかダッチマンと言う、え?フライングダッチマン?と言うと、ああそれそれ、だと。初めて聴いた。気にはなっていたが、これがフライングダッチマンなんだと、泡盛を飲みながら少し聴いた。それから、ジュリーの反原発ソングとか、メジャーからは絶対買えない曲のオンパレード。でもアマゾンでは買える。ああ、ジュリーは無理みたい。

けど、フライングダッチマン(以下、FD)も海外あたりで火が点いたんでしょ? 違ったっけ。やたら暑苦しいのが気になるが、これくらいの紋切り型系のヤツらが今は必要なのかもな。

実はすでにかなり酔っぱらってるので、このくらいで。とりあえずFDの「ヒューマンエラー」を貼っておきます。

えらいこっちゃ

今、新幹線の中で書いてる。大阪に飲みにじゃなかった仕事に行くのです。世の中は夏季休暇中だが車内は8割くらいの込み具合。うるさいガキが何人かいてときどき騒ぐのがいただけない。斜め後ろの席では社用らしき男女の会社員がふたり寄り添って話しているが、どうも怪しいというかうらやましい。マヌケな顔をして仕事が済んだらどこで飲もうかなどと考えているのは私くらいのものだ。

もう名古屋か。いくらも書けないなこりゃ。大阪着いたらどうせ飲んじまうんだから、取りあえずなにかしら更新したいものだ。

と書いたのが、金曜日。物思いにふけっているうちにあっと言う間に京都に着き、こりゃダメだと書くのをあきらめた。大阪ではせわしなかったが、案の定、仕事と酒で今にいたる。世の中は完全にお盆休みに入った。東京に帰って来たわけだが、東京もこのくらいすいているほうがいい。落ち着くね。電車に乗っても座れるんだから。まあ、私は電車では座らないのだが、こんだけ空いてれば立ってるほうがヘンだ。いやあけっこうけっこう。

しかし相変わらず大阪は何を食ってもうまい。で安い。というか高い店は知らない。そのへんの店に入ってフツーのおっちゃんたちにまじって串揚げとか山芋の鉄板焼きとかで飲んでるのが至福だ。串揚げなんかはどこで食ってもうまいと思うんだが、大阪人には何か違いがわかるんだろうか。焼き鳥だったらわかるんだがな。

それにしても梅田の駅で、ブラマヨ小杉が口から噴水を吐き出してるバカでかいポスターが目に入って、なんだ?と見ると、「パーライオン」てある。あまりのバカバカしさに思わず腰から崩れ落ちそうになった。仕事のことで小難しいことを考えながら歩いていたのだが、一瞬で吹き飛び、心の底から笑いが込み上げてきたと同時に脱力した。こういう自分では予測できない不意を突かれるような笑いは、新宿末広亭の寄席で円丈のこれまた心底バカバカしいインド人の落語を聴いたとき以来だ。それでその夜、飲み屋を求めてほっつき歩いてたら、たこ焼き屋があって、店の名前が「知らんがな!」。まったく意味がわからない。いや意味なんてないんだろう。ここでも危うく崩れ落ちそうになったが、パーライオンの免疫があったから助かった。こんなのは大阪では当たり前なのだろうか。面白すぎるだろ大阪。また余計に飲んじまったじゃないか。



まずい、大阪の話で終わってしまう。

前回の終わりに触れた紹介したい本の話だ。前にも書いたが、イオン・アルゲイン氏の『「太陽の伴星」その存在証明と影響評価』。タイトルがややかたく、手にとりにくいかなとは思うが、氏がオカルト的にとられるのを嫌ったらしいので、あえて科学的学術的にしたのだろう。

これはすごい本だ。

内容はてんこ盛りで、氏が地球や人類の行く末を本気で案じるあまり内容が多岐にわたりすぎてるきらいもあるが、その主張というか提案は傾聴に値する。

私にうまくまとめる能力はないが、要するに、古代には現代文明をはるかに超える文明があって、エジプトやメキシコのピラミッド、巨石遺跡、暦、神話などは、過去に地球に巨大な天変地異が起きたことを現代の我々に知らせるために創られたということだ。そして周期的に訪れるその異変は、それら前文明の残してくれたメッセージによると今世紀、2030年前後に来るという。

どういうことか。

詳細はあまりにも複雑なので、というかものすごくわかりやすいのだが、いろいろな数字的なデータを多面的に列挙して説明しなくてはならないので、それは本書を読んだほうがいい。部分的に、たとえばエジプトのギザの3大ピラミッドについて言えば、

・3つのピラミッド(一番でかいクフ王のピラミッドと呼ばれてるもの、その次の赤ピラミッド、屈折ピラミッド)は正確にその四角錘の底辺の正方形が東西南北に沿っている。
・クフ王のピラミッドのそばにあるスフィンクスは東を向いている。胸に丸い玉がある。スフィンクスは文字通り獅子座を表わし、胸の玉はハートだとすると、獅子座の1等星レグルスを表わす。レグルスの意味は心臓だ。

とすれば、古代の人はそれで何を伝えたかったのか。

スフィンクスが東を見ているので、胸の玉を太陽とも考えると、レグルスは太陽の天の通り道、黄道の近くにもあることから、レグルスと太陽が重なる時点、つまり日の出の太陽とレグルスが重なるときを天文シミュレーションソフトを使って探してみると、おおよそBC9500年ころに重なることがわかった。そのころをさらにピラミッドに絡めて調べると、これまたクフ王のピラミッドの北面の底辺中央部から斜面に沿って頂点を見ると、ちょうどレグルスの南中(一番空の高い位置)時にそのピラミッドの頂点とレグルスが重なる。それがBC1万500年ころ。

BC1万500年ころとはどういう時期か。ここで地球の歳差運動を考える。地球は自転しているが、コマを回してだんだん速度が落ちて来ると軸が首振り運動をするように、地球の自転軸も首振り運動をしている(ここにわかりやすい図というか動画がある)。72年で1度動く程度なので、自転軸がぐるっと360度回るには、72年×360度で2万5920年かかる。だから、現在は天の動かない星はこぐま座の北極星(ポラリス)だが、たとえばBC1万500年ころはこと座のベガが北極星だった。

ちょっとこれだけではわかりにくいが、要するに古代人は現代の我々に歳差運動周期に注目するようにピラミッドやスフィンクスにメッセージを託したということらしい。何でそんなに歳差運動周期にこだわるのか。

この歳差運動がなぜ起きるのかについては、太陽とか月の重力でうんたらこーたらの理論があるらしいが、イオン氏によると、それは、太陽に伴星があって、その周期が2万6000年から3万年くらいの周期で太陽系のまわりを回っているからだという。つまり太陽はもともと2重の連星で、今の太陽とその8倍大きい太陽がお互いのまわりを回っていたが、大きい太陽が超新星爆発を起こし、その破片が今の太陽の重力にとらえられ、やがて火星とか地球とかになり太陽系を形成し、大きい太陽は今の太陽よりも小さい鉄のかたまりになって大きな楕円を描いて太陽系のまわりを2万6000~3万年の周期で回るようになったというのだ。

鉄のかたまりだから当然フレミングの法則によっ磁場に対して電気が起きるが、この伴星が遠いところを移動しているときはいいが、太陽系に近づけば近づくほどその電気的な力は強力になる。そしてその伴星は今、太陽系に加速度的に近づいているという。そしてその周期の約半分の今から1万4000年(BC1万2000年)くらい前に、地球に何か巨大な異変が起きた。そして前文明は滅び、わずかに残った人類がまた原始時代からやり直した。その文明が滅ぶ前に、現代の我々に、つまり今の時代に生きてる我々に、もっと言えば2030年~2040年ころに生きている人類に向けて、またやってくるその大異変になんとか対処してほしいという願いを込めて、数々のピラミッド、巨石遺跡、暦、神話にメッセージを残した。

マヤのカレンダーも、驚くことにホツマツタエにもそのメッセージが残っている。もうあまりにも情報が多すぎて要約のしようがないのだが、要するに360という数字、他にもあるが、とにかく360という数字が出てくる。結論から言うと、古代は1年は360日だったのだが、その大異変によって地球の自転速度が変わり、1年は365日になった。これはいろいろな神話にも出てくる。闇の5日間だ。マヤのカレンダーも、あれは13と20と260と360をいろいろ組み合わせた複雑な暦だが、途中から365に合わせて微調整されている。2012年12月21日は、その暦のサイクルの終わりで、地球の終わりとかではないというのがイオン氏の見解のようだ。重要なのは、あくまでその伴星が近づいてくる時期。そしてそれによって起きる地球規模の環境の大異変。イオン氏はセンセーショナルにとられるのを危惧して、たしか天変地異という言葉すら使ってなかったと思う。環境の大きな変動とか言ってたかな。でもそれだけ私には切実なものに感じられた。

ほか、ギザのピラミッドの高さや周囲の寸法など、正確に地球のサイズの4320分の1で設計されていることとか(しかも4320は6倍すると1万5920になる)、とにかく実証的なデータのオンパレードで、氏の説を否定するのはかなり難しいように思える。先のBC1万500年とか9500年とかいろいろ数字が出てくるが、ずいぶん差があるじゃんなどと安易には言えない。だいたいが、1万年以上も前の建造物がほぼ当時のまま残っていること自体が不思議だ。その技術が不思議だ。途中地震もあったし落雷もある。実際、ギリシャの歴史家ヘロドトスによれば、当時(BC440年)はピラミッドは前面石灰石で覆われていてまばゆいばかりだったというが、カイロの地震で町の復興のため剥がされた。それでも全体の原寸を留めるように創られた。それほどまでに寸法にこだわった。意図的にだ。これは単なる王の墓とかじゃない。と本書を読めば誰でも思うだろう。

ピラミッドの建設も、定説になっているような、10万人の人間が20年の月日で創ったなんてわけがない。ピラミッドは300万個の花崗岩を積み重ねて創られている。平均2トン。1日12時間働くとして単純計算で1人1分間に3~4個の石を積むのだ。入口近くの斜めに組み合わされた石は200トンある。無理だろう。しかもミリ単位で巨石を積み上げていくなど、現代のクレーンを使っても無理だろう。クレーンといえば、バールベック巨石などは2000トンもあるらしいから、こんなものは現代文明でも無理だ。現代ではNASAのロケットを運ぶ700トンのクレーンが限界らしい。これは、古代はというか前文明は重力自体を自由に操作できる技術を持っていたとしか考えられない。それだけでも研究されるべき重要なテーマだが、ちょっと話が飛ぶ。

いかん、長くなる。私の読み間違いや記憶違いもあるだろうから、まだ読んでない人は本を読んでみてください。

何が言いたいかというと、もし、もしですよ、イオン説が正しいとすれば、人類にとってはとてつもない試練がまもなくやってくるわけで、やれ戦争だ、原発だ、金融システムだ、いじめだ、なんてくだらないことで時間を費やしてる場合じゃないということだ。いや、それらを解決すること自体は必要だが、長い時間をかけてる場合じゃないんじゃないか。んなもんはとっとと解決して、学識者でイオン説を早急に検証し、信ぴょう性があることがわかったなら、全世界の知を結集してもっとその伴星の実態とか軌道周期などを調査して正確なデータを出し、人類として対処しなければどうにもならないよこれ。イオン氏は、それはきっとできるはずだと言うし、私もそう思う。ということだ。

ほかにも氏は、地球温暖化や海面の上昇、原発問題、放射能除去などなど、いろいろな面で具体的現実的な提案を試みているが、氏も言うように、こういった話がただのオカルトだろで済まされたらたまらない。まあ、続編も出版されるようだし、講演もされてる。

イルミナティでもさらにその上のなんとかでもいいが、ある種最高の智識なり技術を持っているともいえなくもないのだから、くだらない支配・被支配的パラダイムは闇の彼方にほっぽり投げて、地球のためにひと肌脱いでくだされよ。って別に国常立大神っぽい口調にならんでもいいのだが、ひょっとして王仁三郎ではないが、最後はユダヤがカギだってのもそのへんにあったりして。冗談っぽく響くかもしれないが、実はコトの重大さにいささかパニクっているのです。だって、だとしたらこれまでの数々のことがら(超個人的なことだがこれも今は要約できない)がその意味合いを変えてしまう。というかもっと現実味を帯びてくる。おのれの狭さがまた露呈された。自分の中でだが。もうちょっと整理できたらまた小出しに晒します。

また大阪いこ。

異世界?

毎夜の仕事と酒とオリンピックで早一週間。オリンピックみたいなバカでかいイベントにはくだらないことも多いが、出場してる選手たちを見てると、人間はこんなことができるのかと驚くことも多いね。大したもんだ。身体的な能力もそうだが、やはりメンタルな部分が重要であることがよくわかる。でも内村クンの鉄棒の落下には誰もがアッと思ったに違いない。彼のコメントがふるってた。原因がわからないってのがいい。あると思ってたところにバーがなかったって言うんでしょう。なるほどね。誰にでもケアレスミスはあるとかいう一般論はわかるが、内村ですよ。これはバーがどこかに行っちゃったに違いない。そう思うほうが私としては納得がいく。なんせ世界中の人間の意識が注いでいるんだから、何が起きても不思議ではない。

それでも個人総合で金。エピソードのように紹介もされていたが、負傷した同僚への個人的な気持ち、思いが、彼をして本来のもしくはそれ以上の能力を発揮せしめた。素晴らしいじゃないですか。

のっけからただのオヤジの意見になってるが、またたしかにただのオヤジだが、記事が一週間あいた言いわけをするのが恥ずかしいからごまかしてるだけだ。前回ちょっと飲んで記事を書いてみたはいいが、どこか感傷的だったような気がして、やっぱ飲まないで書こうなどと思ったら案の定時間が過ぎた。できるだけ意識的に書こうとはするのだが、私の場合、いつもではないが、酒を飲むとつい情が出てくるというか、客観性が鈍磨するというか、智に働けば角が立つし、情に棹させば流されるというか、とかくこの世を生きにくくしてるのは自分です、ハイ。

オリンピックといえば日曜日もクレー射撃を見ながらギャーギャー言ってたのだが、カミさんがふと、あんたもあそこでピョンと飛んで撃たれちゃえば、とか言いやがった。愕然としたね。カミさんが私に吐く数々の暴言の中でもベスト3に入るのではないだろうかと客観的に思った。大体からしてカミさんとはつまらないことでことごとく合わないことが多い。白菜の漬物は私は茎のカタいところが好きだがカミさんは葉っぱ。煮物でも私はじゃがいもとか人参だがカミさんはこんにゃくとか肉。居酒屋の煮込みでも私は豆腐だけを頼むくらいだが、カミさんはもちろんモツ。ポップコーンでも普通のものが好きだが、カミさんはあの丸っちいモサモサしたわけのわからないヤツ。うどんでも私は関東の醤油っぽいツユがいいがカミさんは関西ふうのダシ系。まあ、ガキのころの生活環境にもよるんだろうが、本当に違う。別にお互い徹底的に相手の好物がキライなわけじゃなくもちろん食えるが、好みはきれいに分かれる。食い物に限らず服のセンスやデザインの好みも違う。

なんでこんなに違うのだろうと不思議に思い、逆に何が一致してるのだろうと話しあったら、お互いにつき合う相手は酒が好きなヤツに限ると思ってたことだったことが、串焼屋で酒を飲みながらわかった。まさかそれだけだとは思わないが、基本的に人の好みは一致しないものだと思っていたほうが無難なようだ。だから合わせることも否定することもないね。それに食い物に限って言えば、残らないから無駄がない。

なんかヒジョーにくだらないことを言ってる気がしてきた。

そういえば、『日月神示』の研究でも有名な中矢伸一氏が発行してる会報誌に気になる話が載っていた。もうすでに有名な話で私が知らなかっただけかもしれないが、ある人物が異世界に行ったかもしれないという話だ。

なんでもそいつは京都のある中庭のあるマンションに住んでいて、ある日、中庭に出たら異様な頭痛とめまいを感じて気絶する。気がついて外出するのだが、何かがヘンだ。抜粋する。

マンションの廊下を通って、コンビニに向かうんだけど町内会の掲示板がある。
そこに目をやると違和感を感じた。見てみるとなんだか脈絡のない文書ばっかりなんだ。

ア活めるゆフィ柿のさと

とか日本語をごっちゃ混ぜにした文書が書かれてる。
掲示板に張られている紙が全部そんな感じ。
政治家のポスターなんかも政治家の顔写真に

へつ下のイ目はタイ燻ら當兎
(タイの次の字はこんな見た目だった。政治家の顔は誰が知らんけど普通)

俺はまた???ってなってとにかくコンビニに行こうとマンションを出た。
マンションを出て道を挟んだらすぐにコンビニがある。
で、マンション前の道路で信号待ちをしてるとやっぱりおかしい。
コンビニの看板やマンションの横は花屋なんだが、花屋の看板もおかしい。

花屋はヤ母イ

とか、コンビニは

イイ目だ

とか書いてある。
通行人とか車はいるんだが、そっちは普通。とくに変わったところはなかった。

コンビニに入ると

アヨダナマーリッサー

的な声を店員が発した。
本棚に向かうと本の表紙の文字もおかしい。掲示板と一緒で日本語をやみくもに並べた感じ。
で、段々と怖くなってきてなんとなく携帯電話を取り出した。
携帯電話は圏外。メールとかは今まで通り普通の日本語。
本棚以外の商品とかをみてもわけがわからない日本語の羅列。
さらに怖くなってきてコンビニを出た。

俺が異世界に行った話をする』より


このあと、病院に行ったり警察に連れて行かれたりするのだが、ことごとく言葉が通じず、途中小さい白人の子どものようなヤツが出てきて、脳をいじられたりした他、いろんなことをされるのだが、味方の医者のような人物も現われて、あなたは異世界に来てしまったというようなことを言われる。我々が存在している普通の世界のそばにそういった異世界があり、そいつはそこに紛れ込んだというのだ。結局はその医者によってもとの世界に戻されるのだが、そいつは現実の世界では4カ月行方不明になっていたらしい。それが今年の6月の話。

まあ、何かの夢でも見ていたのか、まったくの創作である可能性が高いが、その臨場感というか内容は、もし創作ならなかなかの才能の持ち主のようだ。ヘタなSF小説より面白い。また個人的には、中矢氏がこの話を会報誌に取り上げていたことが興味深かったわけだ。伏線もあって、中矢氏が体験した憑依現象の話の流れで、世の中には否定する人も多いが、憑依現象や霊現象というものは本当にあるものなのだという論調を捕捉するために取り上げたと思われる。

その後、中矢氏はパラレルワールドの存在に関しても言及するのだが、いずれにしろ先の話はちょっと面白かったので紹介した。パラレルワールドに関しては、ゼランドによる解釈を自分なりに敷衍させた考えがあるのだが、またの機会に書いてみる。

他にも紹介したい話があるが、今はあまり時間がないので、早い時期にまたアップします。
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私はただの夢見る酔っぱらい。
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