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Daydream Believer

あーあ このまま気持ちよく眠り続けられたら
6時の目覚ましだって鳴りはしないだろうに
でも やっぱ鳴るわけで 
僕は起き上がり 眠い目をこすって 
冷たいヒリヒリするカミソリで髭をそるのさ

元気だそうぜ! くよくよするなよハニー
たいしたことはないさ
僕にはまだまだ夢があるし
君だって世界でいちばん素敵なんだから

君は昔 僕のことを白馬に乗った
王子様みたいだって言ったね
今だって そう思ってくれるだろう?
さあまた 僕らの幸せな一日がはじまる
お金なんか気にしなくていいよ
でもやっぱ 少しは必要かな? 

(意訳:∞酒林∞)

Oh, I could hide ‘neath the wings
Of the bluebird as she sings.
The six o’clock alarm would never ring.
But it rings and I rise,
Wipe the sleep out of my eyes.
My shavin’ razor’s cold and it stings.

Cheer up, Sleepy Jean
Oh, what can it mean
To a daydream believer
And a homecoming queen.

You once thought of me
As a white knight on a steed.
Now you know how happy I can be.
Oh, and our good times start and end
Without dollar one to spend.
But how much, baby, do we really need.

Cheer up, Sleepy Jean.
Oh, what can it mean.
To a daydream believer
And a homecoming queen.

ときどきだが、カミさんや子供たちとYou Tube見ながらアホみたいに飲み明かすことがある。ホント、ときどきね。子供たちはバカ騒ぎするバカ夫婦にあきれてはやばやと部屋へ引っ込むが。
で、ちょっと前にもバカやって、ちょっと思い出したんでヘタな意訳をする気になったわけだ。

ともかく飲んで歌って踊るってのは楽しいもんだ。

あまり意味はないのだが、とにかく更新はしていこうと思うわけで、今後も思いついたら飲む前にゴタク並べますわ。

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後日談

いやあ、いい歳こいて、またやったしまった。
前回のブログを書いて、そのまま飲み会に行き、飲んだくれて、2軒目でスナックで歌ったりしてそれなりに楽しかったわけだが、その後がいけない。
結果から言うと、私はその日、朝まで警察の取調室で過ごしました。明け方にパトカーで駅まで送られて、また居酒屋でひとりで飲んで始発で帰って、あっちゃこっちゃ乗り過ごして、無事打ち合わせをすませたのだが、ったくってヤツですね。

いや、あれですよ、同級生のひとりがまたやらかして、スナックを出たところ、店の前で若者とはじまったわけですな。あれは何だ? 暴走族ではなさそうだったが、バイクに乗ってたむろしてた。14~5人くらいいたな。こっちはオヤジ5人とそのカミさんひとり。問題の友人は、いいから頭出せ!とか凄んでるし、ったくもう高校生じゃないんだから。

いろいろ面白い発見もあったから詳細を書きたいのだが、友人の中にはそれなりの肩書と職業についているヤツもいるので、私のブログで面倒くさいことになってもいけないからやめときます。でも、今の取調室って禁煙なんだね。明け方パトカーで送ってくれたのは楽だったが、自宅の杉並まで送ってくれと言ったらさすがにダメらしい。始発はまだないし、しょうがないからまた飲んだわけだ。で、ふと、そういえば昔もあいつと同じ警察署で取り調べられたなあと思ったら無性に笑えてきた。オーストラリアから帰国してきたヤツは、俺も行こうかと言ってたが、さすがに可哀相なんでお前は帰れとひそかに帰したけど、考えてみたら、昔のときもそいつはうまく逃げて、私と今回のヤツだけが警察に捕まったのだった。なんの繰り返しだこれはと思ったら、さらに笑えた。気持ち悪かったのか、隣のカウンターで飲んでたこれまた若い連中も何気に席を立って帰っていったな。

まあ、オヤジは小料理屋でひっそりと飲んでるほうがよさそうだ。

ともかく、前回の『パピヨン』のことだ。続きを書くって言ったし。と言ってもたいしたことではない。要するに、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンは絶海の孤島に幽閉されるわけだが、ホフマンは菜園を作ったりしてそれなりにそこでの生活を楽しんでるふうなわけだ。マックイーンはいまだにしょうこりもなくその島からの脱出を考えている。ホフマンも一応その気はあるようなそぶりを見せているのだが、どうやらその島でそのまま一生を終えるつもりのようだ。で、前に書いたように、マックイーンは波の法則を発見し、何回目かの波に乗れば、うまく島から脱出できると踏む。喜び勇んでホフマンにそれを告げ、一緒に出ようと誘い、ホフマンも一緒に行くことを約束するが、実際はとどまる。出発の日、自分はとどまることをなかなか言い出せないホフマンに、お前の気持ちはわかってるから的な感じで別れのあいさつをし、マックイーンは海に飛び込むわけだ。かなりのジジイなのに。

一般的には、どこまでも自由を求める男の話って感じなのだろうし、実際その通りなのだが、私は中学生のときに、もうちょっと違う感じで、なぜか微妙にある種の恐さを覚えた。自由を求めて命がけで海に飛び込むマックイーンも島からは出られないがそれなりに豊かでほのぼのとした余生を送れそうな島にとどまるホフマンも、どちらも誰からも責められることのない立場にあるのは当たり前だ。して、どちらが幸せだとかなんてのもわからない。本人がしたいようにしてるだけなのだから、どちらも満足なのだろう。しかし、両者はまったく違うと思ったわけだ。うまく言えないが、決定的に違うと。何が違うかはいまだにうまく言えないのだから、私も中学生から少しも進歩していない。でも、違う。と思う。

でもこれは、勇気があるとかないとかではないとも思う。勇気があるっちゃ、どちらも勇気はあるのだ。とも言える。50過ぎた私が今言えるのは、自分でもあまりに単純でバカバカしいくらい拍子抜けなのだが、要するに、好みの問題だということだ。どっちがいい?って言われて、なんかこっちのほうが好き、ってヤツだ。自分だったらどうする?ってのも意味のない質問だ。何にしても普段から自分の好みがあって、いざ選択するときにどういう行動を起こすかはそのときになってみないとわからないということがどれだけあるか、ということを何回も経験してきてるから、そうした質問は意味がないことがよくわかる。私の場合だけに限らないと思うのだが、どうだろう。私は、いまだに自分で自分の行動が読めないことが多々ある。いまだにだ。こうしてブログ記事を書いていて、このあとまた巣鴨で打ち合わせがあるのだが、まあ打ち合わせはすると思うが(アポも入れてるし)、それでも本音を言えば、本当に打ち合わせに行くかどうかわからない。いきなり面倒くさくなって酒を飲むかもしれない。

しかしこんなことを言えば、誰からも相手にされなくなるだろうな。だって信用できないもんね。自分で言っててそう思うわ。でも、さすがに50年生きてきてるから、こんな自分でも自分の好みはなんとなくわかってきた。で、だいたいその好みに添って生きてきたようだし、これからもそうだろう。だから私の場合、自分の好みのままに生きていくのが、一番人にも誠実に接していく方法のような気もしてるわけだ。違うかなあ。実はあんまり自信はないのだ。

まあ、先の『パピヨン』という映画も中学生のときに新宿で見たそれっきりだから、内容やラストも自分の記憶と印象しかないから、実際は違う部分がありそうだ。でも、今自分の記憶の印象ではその通りなので、私にとってはそういう映画だ。そういえばその『パピヨン』も、おととい飲んだ同級生のひとりと行ったのだった。ってのも笑える。

例によってまた何が言いたいのかわからなくなってきたが、人の生き方には極端に言って2種類しかないようだってことだ。浜田省吾の歌じゃないが、生きていく方法は100通りもあるかもしれないが、生き方は2通りしかない。

あとさっき気がついたが、トリスを飲んで天国へ行こう!みたいなコピーがあったと前回ほざいたが、あれは、ハワイに行こう!だったね、確か。面目ありません。酒飲みしっかくだなどうも。やっぱり推敲は大事なんだね。でも、推敲は仕事だけでいいや。

台風が来るらしいが、被害を最小にするように東に逸れるように祈ってる集団がある。現在。突然、なんの話だって感じだが、たしかにそうだ。

とっちらかってきたぞ。カップ麺でも食って、打ち合わせに行きますわ。取りあえず。

Think!

今年のキンモクセイの香りももう終わりっぽいな。して道端でOH!ってな感じの銀杏も。でも毎年、季節の移り変わりを突然知らしめるこれらの香りというか匂いというか、ある種のしるしは何かしらもの思いに誘うね。って別に詩人ぶってるわけでもないが、まあ、ありがたい気がするわけだ。空の奥ゆきとか透明感とか。

この時期にしては異常な気温だとかなんとかたしかにあるようだが、いいんじゃないスか。ここうん十年の平均とかなんかで取沙汰しても、やっぱうん十年でしかないし。そりゃいろいろあるよ、地球にしろ人間にしろ。100年1000年何十億年単位ではまた何かのサイクルでもあるんでしょう。してまた、何かのしるしでもあるのだろう。

それでも、何かに気づくというのはいいことだ。何に気づくかはいろいろあるだろうが、何に気づくかで人の変わり方も変わるようだ。行動、行為が変わる。ちょっとだけ変わる人もいれば、とんでもなく変わる人もいる。半田広宣氏も、人は昨日と同じである必要はまったくないと言ってたのを思い出す。ジョン・レノンもたしか、ヨーコと結婚して、いろいろマスコミに叩かれて、イギリスの雑誌編集者の女にヨーコと一緒に抗議に行った映像があった。丁々発止やりあった後、その女編集者が、実はあんたのファンだったとちょっとメランコリックに呟くシーンがある。したら、皮肉屋だったころの俺だろ? でも俺は変わったんだ、とか言っていた。私の記憶だから正確ではない。中島みゆきも「世情」という歌で、♪時の流れをとめて、変わらない夢を、見たがる者たちと闘うため~♪とか言ってたな。

いや別に、変わりましょう♡などと言いたわけではない。それじゃなくても私のように、久しぶりに会うヤツ皆に、お前変わってないなあ、髪の毛以外、と言われるようでは説得力もない。あ、そうそう、私はこう見えても、高校大学とファンクラブがあったくらいなんだから、そりゃもう大変なものである。いやマジで。髪があったころね。で、そのファンクラブ会長とやらが私にアプローチしてきてちょっと付き合ったことがあったが、そいつはその後、会員に袋叩きにあったという折り紙付きだ。と言っても、ファンクラブがあったことすら私は知らなかったのだから、まあたいしたことはないわな。

それにしても、人の妄想力というのはすごいもので、私のファンクラブごときはどうでもいいのだが、人はほとんど妄想で生きていると言ってもいいくらいのものではないか。罪のないかわいい妄想から壮大で荒唐無稽的なものまでいろいろありそうだ。だってあれでしょ? いわゆるブッシュみたいなキリスト教原理主義福音派、エヴァンジェリストたちなんかは、徹底して予定説を信じているわけだ。予定説ってば、あれだ、神はことごとく見透かしてるから、つまり誰が善人で誰が悪人かをすべてわかっているから、この世で何をしようが、すでに天国行きと地獄行きが決まってるって話だ。カトリックのように善行を積んでもムダで、すでに決められている。でも、人間には自分がどっちに選ばれてるかわからない。でも、現世で努力、したかどうかはわからないが、一応経済的に成功し、富を蓄えている人々は、きっと我々は天国行きが定められているからに違いない、富はその証しだ、だから地獄行きが決まってる飲んだくれの貧者などは救う必要もない、早くハルマゲドンでも起こして、最後の審判を受けて、我々だけで天国へ行こうじゃないか、ってなもんでしょ? 極端に言えば。

昔、トリスを飲んで天国へ行こう!ってコピーがあったが、トリスを飲んでる酔っぱらいの貧者の私なんかはどうなるんでしょうか。

まあ、妄想でも理想でもいいが、エヴァンジェリストとか、右手にコーラン左手に剣みたいなイスラムも含めて(偏見もあるだろうが、まあ争ってるのは確かだ)、ひ弱な私にはちょっとぉ…てのもある。

初めに言葉ありき、でもいいんだが、聖書でもなんでも言葉をそのまままるごと信じて原理にしてしまう、というのはやはり違う気がする。気がするとしか私にはまだ言いようがないから情けない。なんか違うんじゃね?的なものを唯一自分の判断基準で生きてきたからどうしようもない。あるいは逆に、これはなんかとっても大事なんじゃないかって「感じ」ね。でも、「感じ」だけじゃしょうがないから、私のような向学心あふれる人間はいろいろ考えるわけだ。体験もする。で、また考える。「思考」がダメだって話もあるが、私も場合によっては賛成だが、やはり思考は必要だと思うわけだ。それは知識をもたらすからだ。

もちろん、体感的なことで得る知識もある。あるものを感じる。ブルース・リーじゃないが、考えないで感じるということだ。私もヘタな武術をやってるのでそれはわかる。でも、そういうことではない。そうした体感的なもので得る知識は、思考停止、あるいは感得した境地に安住すると、おそらくその先、排他的排外的な方向に行く可能性があると思う。これは相当面倒くさい話になるので、また別に書くつもりだが、ともかくアブナイ「感じ」がする。

もちろん、体感で感得することが悪いはずもなく、私なんか左脳偏重症とバランスをとるためにもいろいろトライしてるわけだが、逆にそれだけになるとヤバイことになるとも思っているわけだ。徹底した思考も同じように大事なのだ。思考は言葉を使うわけで、思考を進めていけばいくほど必然的に新しい言葉なり論理を探っていくことになる。で、ある体系が形作られてもくるのだが、それはそれでさらに検証が必要になってくる。してこれは、独りでやってもいいが、多くの人間と検証していくほうが広がりが出る。あーでもないこーでもないってヤツだ。そうして集められてくる新しい知識や論理は皆の共有財産になる。なんだそれは、ただの民主主義じゃないかって言われそうな気もするが、だとしたら今の民主主義はお粗末すぎるし、材料の言葉や論理が貧困すぎる。まだまだありまんがな、ってことです。

そうした知識と先の感得して得る、まあ知識を、合わせて叡智と呼びたい気がするが、これも微妙にしゃらくさい。でもこうして言葉で書く以上、私なりのつたないレトリックで表現するしかない。

前にも書いたと思うが、というか最近こういう表現が多くて自分でもいやなのだが、前に自分で何を書いたか確認するのが面倒くさいだけだ。大澤真幸の書籍の紹介で引用したと思うが、たとえば、イチローが10年連続200本安打を打った、と聞いて、へえそうなんだで終わる人もいれば、なんてことだ!と感激に打ち震える人もいる。それは、100年を超える大リーグの歴史の中で、10年連続で200本安打を打った選手はひとりもいない、という知識があるかどうかで反応が変わるわけだ。野球をまったく知らない人でも、そういう知識を得れば、すげえな、くらいはわかる。まあ、どんなことでも、あ、そう、で終わる人もいるからなんとも言えないが、少なくとも知識があるとないとでは受け取り方が変わる。

なんで、こんなことを書くかというと、私がおとといかな、そうだったのだ。私はそれなりの野球少年だったが、ヤクルトが優勝した翌年から野球を見るのをやめてしまった。大のヤクルトファンだった私は、一度も優勝したことのない唯一のチームだったヤクルトを応援し続けてきたわけで、優勝したらなんか興味がなくなった。それもなんだかなーと自分でも思うがまあいい。だから野球にはすっかり疎くなっていて、おととい地元の居酒屋で例のごとく泡盛を飲んでたら、隣の常連とマスターが話し出して、マーくんはすげえな、と。マーくんって誰だ?と聞くと、何でも楽天の田中なんとかって投手が開幕連続24連勝で、これはもはや今後も絶対に破られないだろうみたいなことだった。詳しく聞くと、さすがに私も野球はわかるから、そいつは凄すぎると理解できたわけだ。

なんか、ちんたら書いているが、実はこれから町田で、軽い高校の同窓会があるのだ。オーストラリアで旅行代理店を営んでるヤツが久しぶりに帰国するので、みんなで飲もうってわけなのだが、明日、早くに重要な打ち合わせがあるので、今日は飲みすぎないようにしなきゃいけないと頭のどこかでプレッシャーになっていて、でも私のことだから、とことん飲んでまたしくじって…と不安になり、とりあえずブログでも更新しようとごまかしてるわけだが、どうやら時間切れだ。

それでもあまりにも中途半端だが、要は知識は大事だよってことだ。なんというか、のらりくらり、じゃいけないが、いろいろ面倒くさい思考手続きを踏んで、その果てにハタとわかることがあるということで、しかもほとんど重要なことはそのようにしてしかわからないのではないかということです。とは言え、みんながみんなそんな面倒くさいことにかかわる必要もなく、かかわるべき人がかかわればいいとも思うが、これはかかわるべき人は、神でもなんでもいいが、そういう必然的絶対的な流れや恩寵でかかわるものではないだろうということはなんとなく感じる。そういう外部からのものではないと思う。やはり自分の意思と意図なのだ。少なくとも超越的な外部は、論の中で措定するのはいいが、絶対的存在としてアプリオリに措定しないほうがいいと思う。それじゃこれまでの繰り返しだ。

そうではない哲学?が出てきてるですよ、いろいろ。そこんところもっとみんなで話し合おうってことだ。もちろん生活共同体的な視線からのアプローチも必要だし、それこそ社会システムの変換みたいな大きなことも考えていかなきゃならんだろうが、と同時に、新しいというか隠されていたというか、何じゃそりゃあ的な宇宙観を構築しなくてはならないのではないか? こっちのほうが先かもしれない。こっちのほうが早いかもしれない。とんでもないブレイクスルーが起こりうる。

中学の時に観に行った『パピヨン』って映画があって、今思い出した。ラストシーンがいまだ印象的なのだが、それはいわゆる自由を求める云々ではなく、いやそれもあるが、あの島で…って、これはネタバレってことにもなるのか。ええーと、ちょっとラストに触れるので、一応…で、私が考え込まされたのは、あの島で一生暮らしてもそれはそれでいいんじゃないかという立場と、実際ダスティン・ホフマンはそうするわけだが、断崖に打ち寄せる波を眺め、研究し、その法則を知ったスティーブ・マックイーンが脱出の可能性を知り、実際に飛び込んで生き延びるわけだが、これは単純な、自由を求める男的な映画ではなく…もうちょっと説明したいが、時間がなくなったので、次回付け足します。ってもたいしたことではありません。別に引っ張ってないし、そんな内容もないのだが、本当に時間がやばくなったんで。すみません。

こんなんでアップして大丈夫かな…

カミはいない?

10月になった。
これじゃ放置ブログだな、ったく。
仕事が忙しくてさ、などと言ってみたいものだが、いや、仕事はしてますよ私だって。飲むのも、というか、仕事をするとモレなく酒も付いてきますってなことをこの30年やってきてるわけで、どうも今さら酒なしなんてって気もするが、どうやらコトはそう生易しいものでもないらしい、すでに。

すべからく好奇心を持ったことに関しては体験、実践すべしをモットーにしてきた身にとっては、シャレにならなくなってきたわけだ。わりと自分のしたいようにしてきた私は、勝手に第3段階に突入したと決めつけ、会社を辞め今にいたるのだが、思った通り、現実は自分で創造してることを確認してるわけだ。今現在。なぜか自分の人生には5段階あって、イノセントから始まってもろもろ体験する1段階、何となく方向性が決まっての2段階、本格的に絞り込む3段階、ちょっと点検する4段階、して最終段階。

人によってその時期や期間はまちまちだろうが、私は第3段階、自分の第4段階は短いだろうという気もしてるが、たぶん最終段階はすぐきて、あとは世のため人のため、ってのはちょっとウソ。であってほしい。

第2段階からのこれまでは、つまり30年間はずっと出版関係できたわけで、たずさわったジャンルでいえば純文学からエロまでなんでもござれ。芸能、音楽、スポーツに、政治、経済、社会学、料理に掃除に健康関係、まあ、たいがいの三流編集者がそうだと思うが、ありとあらゆるものを手掛けてきたわけだ。して後半は微妙に封印していたスピリチュアル関係に入るわけだが、封印というか、実は第1段階から通奏低音のように鳴り響いていることではあったのだが、ちょっとムカツいたことがあって離れていたのだなこれが。ムカツいたことは前にブログで書いたような気がするが、ともかく、2010年に飛行機から白い龍が泳いでるのを見たときからどうも妙なことになってきたわけだが、これも書いたと思う。

で、ゼランドだ、バートレットだ、ボーネルだの本で、おや?と思い、封印というか離れていたスピリチュアル関係の資料を引っ繰り返し始め、やっぱりそういうことなのかもしれないということに気がつき、いや絶対そうなのだろうということになり、じゃあ、やってみるしかないと会社も辞めた。したら、本当にそうだったって話だ。

何のことかわからんなこれじゃ。
だいたいが、第何段階とか、自分で言っててしゃらくさいと思うもんな。アホかと。でも、そうなんだからしかたがない。

つまりですね。カミはいないと。
いや、いるっちゃいる。創ればいる。誰が? 人間が。でも、少なくとも、人間が他の人間に依存するような形での神はいない。そりゃあ、神はエネルギーだからとか、人間の中に神はいるとか、そういったことでもなさそうだ。それでもいいが、どうやらそうした物語というか壮大な想念システムは書き換えられなくちゃならないようだ。てか、ヘタすりゃ強制的にそうなるしかないんじゃないか。って感じか。それでもいいんじゃんってのはある、確かに。私も、それも面白いかもしれないと思わないでもないが、やはりつまらない気がする。もっと面白くできると思うほうに行ったほうが面白いと思うわけだ。

でも、人を殺したほうが面白いってヤツがいたらどうすんだよと怒られるかもしれないが、もう我々は人を殺しすぎた。人どころか、ありとあらゆるものを破壊してきた。いいかげん飽きたんじゃないか。してそういったものの犠牲というかあとに今みんながいるわけで、といっても過去現在未来の時制の話は今はなしね、そしてまだまだ面白がれることはいくらでもありそうなわけで、そうしたことをクリエイトするだけの新技術、エネルギー分野だろうがハイテク分野だろうが思考能力だろうが、どんどん出てきてるし、あんま時間ないけどそっちをもっと出しちゃおうって話。

人を殺す、ってキツイ表現で申し訳ないが、あるいはいじめる、いじわるする、批判する、なんでもいいが、そういうことで癒される人がいるかもしれないことはわかる。そうしたネガティヴなこと、陰陽でいえば陰のことで癒されるということはあるらしい。陰は女性性、母親的なこと。それで癒されるってのはわかるが、それじゃ前に進めないというか、広がりが出ない。つまり飽きるし、面白くない。陰は大もとで、おそらく創造主、大神、根元のエネルギー、これもなんでもいいが、それはおそらく陰なのではないだろうか。陰から陽が生まれて展開する。古事記か日本書紀だかでも、イザナギイザナミが天御柱(だっけ?)で、右回りだか左回りだかで出逢って、女のほうから、あらステキ♡とか言ったら、それは間違いで、やり直す話があった。あれも、ホツマツタエ的には、陽が先じゃなきゃダメって話でしょ? やり直して、男のほうが先に、お!いい女!って言ったから世界ができたわけだ。

要するに陽が先なのだ。大もとが初めから陰なら当たり前だ。陽が動かなきゃ始まらないんじゃないか。ニワトリが先か卵が先かって話があるが、ニワトリが先に決まってる。男か女かって、女が先に決まってる。でもそのニワトリも女も、最初は性別を超えた存在だろうが、とにかく陰なる大もとから陽が働いて、ニワトリなる、あるいは女なるものが生まれ、でまた陽が働いてオスなり男ができる。って、実はこれは自信がない。

まあ、何が言いたいのかわからなくなったが、イザナミイザナギだって、あれ?もう一回ってことでやり直せたんだから、人間にもできます。

ひとりで鏡とつまらないあるいは怒った顔でずっとにらめっこしてても面白くないわけで、そのうち笑い出すか、踊り出したほうが、自分も楽しいに決まってる。人間は、全存在でもいいいが、やっぱり飲んで歌って踊るってのを基本にしたほうが一番楽しいというか平和だと思うんだがなあ。

カミがいたとしても、それを一番望んでるんじゃないかしら?

やっぱ飲むのかよ…ってことに落ち着きそうですが、うちのカミさんはおそらく望んでいない。
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プロフィール

∞酒林∞

Author:∞酒林∞
世の中の皆様こんにちは。
私はただの夢見る酔っぱらい。
夜な夜な昼間にそば屋うなぎ屋ラーメン屋、
飲んで歌って吠えてます。
いつまで続くか酔っぱらい。
帰ってくるのか酔っぱらい。

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