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予言3

去る10日の日曜に韓国から帰ってきたには帰ってきたがヘロヘロで記事は書けず。私にはめずらしく二日酔いではなく、なんというか二日満腹で、頭がまわらない。なんで韓国人はあんなに食うんだ。

初日、向こうのおエライさんたちとの打ち合わせを終えると恒例の会食となるが、さんざん飲み食いしたあとにうまいチキン屋があるからとぞろぞろと移動。もう食いたくないと思いつつも礼を失すると間に入ってる人にも悪いから無理やり食ってビールで流し込む。たしかにうまいんだがさすがにtoo much。あげくに大量のチキンセットのオミヤゲを持たされ、また飲みに行くんだか食いに行くんだかになったとき思いがけず恵みの雨が。明日も早いからとかなんとかうまく切り抜けてホテルへ帰るももったいないんでまたチキンとビール。翌朝、まったく腹は減ってないが約束なので朝飯を食いながら打ち合わせ。昼の約束にはさすがに腹がいっぱいなので相手にわびながら告げると、そうですか、じゃあ軽くユッケでもと言ってくれたので、まあユッケにビールならちょうどいいというかうれしいくらいだと喜んでたら、いきなりユッケのほかにとんでもなくぶ厚いステーキ肉を2枚も注文された。おまけにここの水キムチスープは相当うまいということでそれも試すことになったが、韓国人の相手が辛い!辛い!とヒーヒー言うくらい辛く、そしてうまく、私は涙目になりながらもこれはなにかのカルマ落としでもしてるに違いないとひとり思いにふけっていた。

その後、ホンデのコミック専門店やソウル市外の出版村パジャシティなどに案内されたあと、実は近くにうまいうなぎ屋があると。ええっー!さっき食ったばかりじゃんと喉もとまで出かかるが…まあいいか、こんなことをえんえんと書いててもしょうがないやね。

その後、うなぎを食って、飲むと精力がつきすぎてションベンをするとバケツに穴があく(韓国の田舎は店の外に小便用に木の樽を置いておくらしい)といわれる桑の実のワインを1本飲み、夜は夜でまた食って飲み、すっかり思考能力を奪われてバカにった私はホテルに帰ってまた食って飲み、翌朝空港で朝飯を食い、おまけにヤケクソ気味に機内食まで食い、家に帰ってカミさんの手料理で3杯メシを食うという餓鬼道に陥ったのでした。ホント、しまいにゃ皿まで食ったろかと思ったね。

ゼランドです。前回の記事では、ともかく魂と理性が一致したことは現実化するという話だった。

だから悪い予感はよく当たるのだ。

起きてほしくないことは起きる可能性が高い。なぜなら、人は本当に欲していることはよくわかっていないが、欲していないことはよくわかっているからだ。人は欲していないことで魂と理性が一致することが多い。するとそれは現実化する。起こり得る事象のパターンや流れを無限に格納しているエネルギー場(ゼランドはそれをバリアントの空間と呼ぶ)は、魂と理性が一致さえすればそれがその人にとって良かろうが悪かろうが関係なくそのパターンなり流れを現象化させる。エネルギーに善も悪もない。

…私のヘタな説明をしていると「予言」について触れるところまでいくのにまた時間がかかりそうだから、さっそくゼランドの言葉を紹介する。

(略)人が梶棒を自分の手で握ると、その人の人生は状況に翻弄されるのをやめる。小舟を予め決められた「運命」から好きな方向へと向けることができるようになる。すべてはとても簡単なことだ。人生は河のようなものである。もしあなたが自分で漕ぎ進むと、方向を選ぶことが可能となり、もしただ流れに任せると、成り行き任せの小流を進まなければならない。あなたがカルマを求めれば、カルマを受け取る。あなたの人生が何らかの避けがたい状況や前世の過ちによるものだと思うと、あなたはそう思うことでそれにふさわしいバリアントを現実化させる。あなたの意志のままなのだ。なぜなら、あなたは神の子だからだ。では、もしあなたが支配者であることを望むなら、それもあなたの思いのままとなる。(略)

絶対的にすべてが含まれるという想像もつかないバリアントの空間の存在を信じるよりも、運命は何らかの最高の力によって定められていて、「計算」と予見が可能だと信じるほうが気が楽である。いずれにしても、人々にとっては未来が見通せないなかで暮らすのは居心地が悪いため、未来に関する何らかの暗示でよいからもらおうとして、占星術師、予言者、占い師などのところへ馳せ参じる。そして、そこでもまた根本的な選択という問題が立ちはだかる。自分の意図とは何なのか。自分を待ち受けているものを知ることか、それとも、欲することの実現か。

ここでゼランドの言うところの「意図」という言葉には特別の意味があるので解釈というかもうちょっと説明が必要なのだろうが、まあ今は予言に関して触れたいだけなので先に進む。

(略)未来を予言したり「見積もったり」する能力を出したりする能力を備えた誰かがいるのだろうか。そのような人間は間違いなく存在している。加えて、そうしたことは、バリアントの空間がまさしく存在するからこそ可能となってくるのだ。そうでなければ、千里眼の持ち主たちは、過去や未来の断片をどこから持ってくるとうのか。

ありとあらゆる占いやホロスコープに対する接し方は一種独特で、それは信じる気持ちと信じない気持ちが拮抗している状態にある。人は、一方では、そうしたものにすっかり頼り切る傾向にはないのだが、他方では、潜在意識のどこか深い部分で、「ひょっとして…だったらどうしよう?」という思いが居座る。占いに関する重要性は、「起こるかもしれないし、起こらないかもしれない」というように最小限である。これは、遊び半分まじめ半分に行われるある種のゲームである。その結果、魂と理性の密かな一致というものが起こる。そのような条件下では、束の間ではあるが明瞭な形(イメージ)が作り出され、それを世界の鏡は喜んで現実化させるのだ。本人自身が、自分の与(あずか)り知らないところで予言されたことを現実化させている。(略)

そして、「予言」に関してとりあえずの結論めいた部分を紹介する。

(略)予言者を必要とするのは、無意識に見る夢のような人生を選択した人々と、圧倒的多数を形成する側に常にいることを選択した人々だけだ。もしあなたが自分の人生を、コントロール可能な、意識して見る夢に変えるつもりならば、鏡職人たちからの手助けは、あなたにとってまったく無意味となる。
 占星術師、夢占い師、予言者を鏡職人と呼んでもよいだろう。なにしろ彼らは、たわいもない予言をしてくれるだけでなく、あなたが眺めなければならなくなるであろう自分の運命の代替品(鏡の一部)を与えてくれるのだ。予言が鏡の一部とならないわけがない。予言をあなたがまじめに受け入れるかどうかはどうでもよいことだ。あなたはそれを手に取ったのだから、それは潜在意識に居座り続け、その後のあなたの運命をプログラミングする。まさかあなたは、たとえお金に絡むことでないにせよ、未来のかけらを受け取ることが本当にできるなどと思っているのだろうか。運命の影響を受けずにそれを覗き込むことはできない。そんな商品の代価は常に同じである。その商品を手にしたあなたは、好むと好まざるとにかかわらず、それを自分の人生の一部分にせざるを得ない、ということだ。


とはいえ、予言の利用法もあるという。がしかし、どのような予言であるかにもよるようだ…

(略)もし自分のリアリティの支配者になりたいという願望がなければ、鏡職人たちからの手助けをうまく利用することはできる。これも選択であり、生存のための方法なのである。むしろ、運命の軌道に沿って安全に進む方法とも言える。この場合、予言は、起こり得る不快な出来事を未然に防いだり、成功への希望をいだかせてくれることのできるサインの役目を果たすことができる。こうしたことに関しては、鏡職人たちは役に立つことをしてくれる。けれども、鏡職人なら誰でも、というわけではない。彼らのなかで最も有害なのは、地球規模の出来事の予言者たちだ。大災害や「この世の終わり」が近いと予言することによって、多くの人々の思考を破壊的な方向へと向ける。言い換えると、集団的意識をプログラミングするのである。そうなると、ただでは済まなくなる。

まあ、個人的な解釈で大ざっぱに言えば、自分にとっていい予言は取り込み、悪い予言は取り込まずに無関心な距離を保ちながら、一応備えるって感じだ。だって、そんなたいそうな予言とまでいかなくても、日々おっかないニュースばかり流れてくるんだから、いちいち取り込んでたらカラダがもたない。前に記事にも書いたが、なんでおっかないニュースばかり流すんだろうか。そりゃそんなことも起きただろうが、それと同じか、あるいはそれ以上の心暖まる希望に満ちたとんでもなく楽しく平和・共存の可能性が溢れたニュースもあると思うんだけど。ない? だったらみんなで発信しましょうか。ニュースのネタが見つからなけりゃ自分たちで作っちゃいましょうか。

神がもしいるなら、なぜ神はこんなにも残酷で非道なことが世界で起きることを許すのだろうか、とか、それはそれできっと大きな意味があることなのだ、とかよりは、私はやはり神は真っ白な紙と鉛筆を用意しただけで、そこにどんな世界を描くのかは人間にまかせたのだと思うほうが納得できる。

さきのゼランドの言葉にもあるが、地球規模の大災害に関する予言というのはまさに今あちこちにあるわけで、これはゼランドふうに言えば、人類がそういった災害に遭遇するバリアントの近くにいるってことにもなる。それは人類の無意識の何%とかはわからないが、金持ちとか貧乏人、先進国や開発国にかかわらず、それなりの%部分がそういった災害を不可避なものとしてとらえていて、今の世界のシステムというかこのままの状態で行けばやがては大きなしっぺ返しを食うんじゃないかとどこかで思ってるということだ。だから人類の無意識のその部分が変わらなければ、あるいは%がこのまま増えていけば、そういったことに遭遇する確率もどんどん高まるのかもしれない。

でも、その無意識はある種、罪悪感とも言えるから、罪悪感がなくなればまた状況も変わる。罪悪感は罰があたることで解消しようとする傾向があるから、人類は無意識に大いなる罰を受けようとしているのかもしれないが、罪悪感は罰を受けて解消するというほかに心を入れ替えて償いの行動に出ることによっても解消できる。だってこの罰はダメージがデカ過ぎるよ。人間の外に神なるものがいて、人間にその罪を気がつかせるために天変地異を起こすと考えてもいいけど、ゼランドに限らず世のスピリチュアリストたちが言うように我々の外に神がいるのではなく、我々こそが神の一部いや神ならば、自分たちでしでかした悪事も自分たちなりに始末をつけられるんじゃないだろうか。しでかしちゃったものはもうしょうがないが、かといって座して罰を待ってるだけじゃ、先のゼランドの言葉で言えば、成り行き任せの小流を進んでるだけになる。それじゃ『日月神示』の大難も小難にできない。梶棒を持って、より良い方向へ小舟を進めなければならない。小舟じゃないな、人類の無意識のことだから大船だ。でも小舟からはじめるしかない。

ちょっと長くなったので。

とりあえず予言に関する一ロシア人の一考察だ。そして私もほぼ同意してます。ほぼというのは、一日本人としての私の考えもほかにちびっとはあるからで、また今度世に問うてみたいと思います。

自分で書いて笑っちゃったが、世に問うってほどのもんじゃないわな。
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