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モンティ・ホール問題

もはや言い訳はすまい。

筆不精もいいところだが、私は今、無精ひげをだらしなく生やし、不承不承PCの前にいる。不承不承というのは面倒くさいとか書くのが嫌だとかいうことではなく、2時間後の6時には来日してる韓国の知人と食事というか飲まなければならないので、どうせ飲んだらまた今日も書けず、明日にしたって男には7人の敵がいるといわれるあの外の世界に向こう一週間出かけることになり、7人もの敵と戦えば疲れるだろうからどうせまた夜飲んで書けず・・・となるのが目に見えてるから、今ただちに記事を書こうとするのだが、時間がなくてじっくり考えることもできずに書くわけだからロクなもんじゃないだろうと忸怩たる思いにも駆られ、でも書かなくちゃいけないだろうから、不承不承なのである。

まあ、たわ言はいいわ。

この前知人に貴志祐介の『悪の教典』を借りて読んだ。スゴイから読めということだったのだが、私としてはイマイチだった。初期の『黒い家』ほどのインパクトはないし、『天使の囀り』のような斬新さもない。ただ、貴志祐介という作家は、人を思いやるという普通の感情を生まれながらに持たないサイコといった人物像にやはり興味があるのだなあとあらためて思った。『黒い家』は衝撃だったからね。というか、個人的にはああいう小説はワリと怖いというかある種の嫌悪感がある。先の『天使の囀り』にも何か嫌悪感を感じた。嫌悪感というのは私の場合必ずしも非難ではないのだが、いずれにしろ何かしらの感動を与えられたのはたしかだが、この嫌悪感はまた今度考えてみよう。

『黒い家』は映画もよかった。小説の世界感をうまく出していたし、何と言っても大竹しのぶの怪演が光っていた。まあ、この『悪の教典』もずいぶんと映画にしやすそうな内容だ。でも貴志祐介はあまり好きではないな。

この『悪の教典』の中で軽いエピソードとしてある問題というかクイズのようなものが紹介されている。私流に簡略化して言うと、

ここに3コの箱、ABCがある。1コの箱の中にだけアタリがある。あとの2コはハズレというか空だ。あなたはどれがアタリかを考え、まあAを選んだとする。すると出題者は、残りの箱BとCのうちCを開けて見せる。ハズレ、空だ。そこで出題者は、あなたはAを選びましたが、再度AかBかもう一度選び直すことができます、と言う。ここで問題です。最初にAを選んだときに当たる確率と、2度目にAかBか選び直したときに当たる確率を求めなさい。

最初にAを選んだときは、ABCの3コの箱のうちから1コを選ぶんだから、三分の一、つまり確率は33.3%、2度めのときは、ハズレを1コ除外したとはいえ、AかBのうち1コを選ぶんだから二分の一、つまり50%、そう答えた方、私はあなたの味方です。

もちろん答えは違う。最初のAは33.3%でいいが、2度めは、Aは33.3%のままだがBの確率は66.6%にハネ上がる。ちょっとした数学だが、説明が面倒だ。これはモンティ・ホール問題といって有名な問題らしいが私は知らなかった。そして、その正解の説明を読んだとき強烈な違和感を持った。

正解の詳細な説明は上記リンク先のネットでもなんでもあるので読んでもらうとして、簡単に言うと、最初のABCそれぞれの確率は等しく33.3%だが、Aが33.3%だとすると、残りのBCをまとめて選べるとした場合、BかCにアタリがある確率は66.6%になる。上の問題の場合、そのうちの1コCを除外しただけだからBの確率が66.6%になる。つまり、2度めに選ぶ場合は、Bにしたほうが当たる確率が上がるというわけだ。

うまくイメージできない人がいるなら、当たらない確率から考えたほうがわかりやすいかもしれない。最初のチョイスでは当たる確率は33.3%だが当たらない確率は66.6%だ。当たらない確率のほうが高いわけだ。当たり前だ。3コのうち2コはハズレなんだから。となると、最初のチョイスでハズレを選んだと仮定すると、2度めのチョイスでは最初に選んだものではなく残ったものを選べば確実に当たる。だって出題者がハズレのほうを開けて見せてくれているんだから。パターンは下記の3つしかない。

A    B    C
アタリ  ハズレ  ハズレ
ハズレ  アタリ  ハズレ
ハズレ  ハズレ  アタリ

つまり、2度めに選ぶ場合、Aがアタリになるのは最初に選んだAがアタリのときしか当たらない。だから、2度めにチョイスする場合は、最初のものとは変えたほうが確率論的には有利だということだ。

違和感を持った人、手を挙げてください。いませんか?

私はものすごく違和感を持つ。なぜか。それは、最初の選択が間違っているかもしれないという前提で展開されてる論だからだ。たしかに確率論的にというか数学的には正しいのだろう。だから、2回めの選択のときには最初に決めたものと違ったものを選んだほうが得なのだ。でも、人は何かを選ぶとき、その人の性格的、環境的、思想的、なんでもいいが、その人独自のバックボーンによって決め方は違うだろうが、まずは当てようと思って一生懸命考えるんじゃないか? いや別に考えなくても頭カラッポでもいいが、またそのほうがいい方向に行くのは間違いないが、今はその話ではない。

何が言いたいのかというと、人が何かを決断する場合、積極的な方向、前向きな方向に向かって決めるのが普通じゃないかと思うわけだ。先の問題で言えば、Aが当たると思って選ぶわけだろう。よし、この箱がハズレだと思っては選ばないだろう。そう思ったら消去法で違う箱に絞っていくだろう。ここでミソなのは、最初AならAと決めたあとに、出題者とやらがCのハズレを見せて、再度また、さあどうしますか?と言わんばかりに選ばせる、つまり惑わせる。不安にさせる。だから、確率論的にどうであろうが、最初にAを選んだのなら、出題者がどんな小細工しようが、2度めもAでいいのだ。Bでもいいが、少なくともAとBは50%の確率だということで選び直せばいい。そういった態度というか考え方というか、そっちのほうが正しいと信じるのは私だけか?ひょっとして。

世の中にはそのテのゴマカシというかマヤカシが溢れてる。数学は一つの思考実験というかゲームというか、ある枠内で通用する遊びごとだ。どんな数式だって、=(イコール)の左右が等しくなるようにあーだこーだ言ったり妙な函数を発明してるにすぎない。

数学的には正しいのかもしれないが、最初にまず間違ってる可能性を考えるというのは、人間を消極的にさせる。リスクがあろうが、可能性が低かろうが、その人間が達成できると本気で決めたら事態は変わるのだ。量子物理学の観測者効果でもそうだが(突然だが、今りょうしぶつりがくと打って変換したら、漁師物理学と出てずっこけた)、私は実は量子論も仮説としか思っていないし、今度は何が出てくるやらといった感じで待っている。じゃないと、量子論ではこうなんだから、といったただの仮説を金科玉条にして異説を排除するような500年前と同じ誤ちを犯すことになる。

いかんまた話が飛びそうだ。

ともかく、数学は危険な側面があるということだ。数にしたって便宜上発明されたんだろう。古代は、ひとつ、ふたつ、あとはたくさん、といった概念しかなかったという説もある。つまり、木の実でもきのこでもいっぱい採って、ひとつはあなたに、もうひとつは私に、あとはみんなに、ということだ。

余計な数学的な計算の果てが金融工学だろ? で、クラッシュだ。いいことは何もないよ。ただ数学的な目くらましを使ったほうが人を支配しやすいわね。論争でも議論でも、数字的な事実を突きつけられたほうがだいたいまごつく。

だから、先の問題で2度目めの選択は50%と思った人には親近感を感じるしだいであります。決して数学が苦手な私のヘリクツではない。

時間がない。案の定の尻切れトンボ。
外出しますわ。雨はあがったのかなあ・・・
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まとめ【モンティ・ホール問題】

もはや言い訳はすまい。筆不精もいいところだが、私は今、無精ひげをだらしなく生やし、不承不承PCの前
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